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柴田国明

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柴田国明(しばた くにあき、本名同じ、1947年3月29日 - )は茨城県日立市出身のヨネクラボクシングジムに所属していた元プロボクシング世界王者。

ヨネクラジム所属では初の世界王者。 同時期、ヨネクラジムにはWBC世界ライト級王者のガッツ石松も在籍していた。

ボクシングスタイル

163cmの小柄な体でスピーディでリズミカルなボクシングを展開した。 パンチを当てるのがうまく、ガードの空いたところに、マシンガンのように連打を打ち込んだ。 一方、打たれ弱く、カウンター一発でマットに沈むことも多かった。 6敗の内5敗がKO負けである。 日本人には困難、と言われたスナップの効いたパンチを打つことができた。そこからついた異名が「天才パンチャー」「かめ割り柴田」。

トレーナーはエディ・タウンゼント松永喜久が著作(リングサイド・マザー)で書いた内容だが、防衛戦のために柴田が伊豆にキャンプを張った際に新聞記者達も同行する。夜になると退屈な記者達は当時ガッツ石松が地元で開いていた飲み屋に遊びに行ってしまう。地味な柴田よりは、社交的で面白く記事のネタをくれて気前のいいガッツと遊んでいた方がメリットがあるという判断からであった。翌日、エディは「あの人たちは柴田の取材に来たのに、なぜ遊びに行ってしまうの」と激怒したとされる。自分の事では怒らなかったエディが、珍しく怒った事件とされる。

主な戦績

通算戦績56戦47勝(25KO)6敗3分。 世界戦では12戦8勝(3KO)3敗1分。

関連項目

外部リンク