林宗右衛門

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林宗右衛門

林 宗右衛門(はやし そうえもん、1845年弘化元年12月[1][2])- 1896年明治29年)12月30日[2][3])は、明治期の地主政治家貴族院多額納税者議員

経歴[編集]

伊勢国員弁郡で生まれる[4]。のち奄芸郡林村[1]三重県河芸郡明村[4]安芸郡芸濃町を経て現津市)の代々久居藩の大里正を務めた林家の養子となる[1][4]

1868年(明治元年)養父の跡を継いで林組大庄屋[2](大里正[1])に就任。農業、酒造業を営む[2]。その後、楠平尾・林・中縄3村戸長[2]学務委員などを務めた[1]。道路、橋梁改築のため私費を投じ、また学校に教材を寄付するなど公共のための出費を惜しまなかった[1]

1880年(明治13年)三重県会議員に選出された[1][2]。1890年(明治23年)の初回貴族院多額納税者議員選挙で互選され[1]、同年9月29日に就任し[5]、在任中の1896年12月、病により死去した[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『河芸郡史』491頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』217頁。
  3. ^ 『官報』第4053号、明治30年1月6日。
  4. ^ a b c 「貴族院議員故林宗右衛門氏の徳業」45頁。
  5. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。

参考文献[編集]

  • 「貴族院議員故林宗右衛門氏の徳業」日本弘道会『日本弘道叢記』第58号、日本弘道会事務所、1897年。
  • 中林楓水『河芸郡史』河芸郡史編纂会、1918年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。