松本幸四郎 (初代)

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初代 松本幸四郎
NDL-DC 1308210-Utagawa Kunisada-古今俳優似顔大全 元祖松本小四郎・四代目松本幸四郎・五代目松本幸四郎-文久3-crd.jpg
ヒト
性別男性 編集
国籍日本 編集
母語表記初代松本幸四郎 編集
こうしろう 編集
松本 編集
名跡松本幸四郎 編集
読み仮名しょだい まつもと こうしろうまつもと こうしろう しょだい 編集
生年月日1674 編集
出生地香取市 編集
死亡年月日11 5 1730 編集
職業歌舞伎役者女形 編集
初代松本幸四郎の墓(千葉県香取市・善光寺)
初代松本幸四郎の墓(東京都文京区・栄松院)

初代 松本 幸四郎(しょだい まつもと こうしろう、延宝2年(1674年) - 享保15年3月25日1730年5月11日))は、江戸時代中期の歌舞伎役者。屋号大和屋

下総国香取郡小見川(現在の千葉県香取市)の島田家に生まれ、10歳の時に佐原の小間物屋「高麗屋」に奉公に出た。元禄年間に江戸久松多四郎に入門し、幼名から「久松小四郎」と名乗り女形を務めていた。後に「松は霜雪に操を変えず、本は本心の本の字」として、松本姓に改め立役となる。享保元年(1716年)、徳川吉宗征夷大将軍になるとその子・小次郎(後の徳川宗武)に名前が通じると言う事で、「松本幸四郎」と改名した。墓は香取市の善光寺東京都文京区栄松院にある。二代目幸四郎(後に四代目市川團十郎)は養子。

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