松平宗長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
松平宗長
時代 江戸時代中期
生誕 貞享4年(1687年
死没 宝永6年11月20日1709年12月20日
墓所 東京都足立区東伊興の法受寺
官位 従五位下兵庫頭内膳正
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣
越前高森藩
氏族 本庄松平家
父母 松平資俊佐野勝由
兄弟 宗弥宗長宗胡富田知徳
鳥居忠瞭正室、松平義孝正室、
松平久瑞正室ら
宗胡
テンプレートを表示

松平 宗長(まつだいら むねなが)は、江戸時代中期の大名越前国高森藩初代藩主。官位従五位下兵庫頭内膳正

生涯[編集]

松平資俊の三男として誕生。

5代将軍綱吉の生母である桂昌院が大伯母に当たることから、縁故で中奥の御小姓に取り立てられる。

宝永2年(1705年)、高森藩主・松平頼職が本家の紀州藩を継ぐこととなったため、高森藩領は収公されることとなった。この際に桂昌院の遺言もあって[1]宗長は大名として取り立てられ、高森藩2万石を与えられた。

しかし在任僅か4年後の宝永6年(1709年)11月20日に死去した。享年23。跡を弟・宗胡が継いだ。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 徳川実記