鳥居忠瞭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
鳥居忠瞭
時代 江戸時代中期
生誕 天和元年(1681年
死没 享保20年4月27日1735年6月17日
改名 熊千代(幼名)→忠瞭
別名 忠利
戒名 大徹院殿徳岩浄証大居士
墓所 東京都文京区本駒込の江岸寺
官位 従五位下、丹波
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
下野壬生藩
氏族 鳥居氏
父母 鳥居忠則:神谷氏
養父鳥居忠英
兄弟 忠英忠瞭
正室松平資俊の娘
忠意大久保忠翰忠亮(三男)、娘(島津忠雅正室)、娘(島津久芳養女)、娘(毛利高丘正室)、娘

鳥居 忠瞭(とりい ただあきら)は、江戸時代中期の大名下野壬生藩の第2代藩主。壬生藩鳥居家6代。

生涯[編集]

天和元年(1681年)、信濃高遠藩鳥居忠則五男として生まれる。忠英の実子がことごとく早世したため、宝永元年(1704年)5月18日に兄の養子となり、同年5月28日には徳川綱吉と拝謁して、12月19日に叙任する。正徳6年(1716年)に兄が死去すると、その跡を継いだ。享保20年(1735年)4月27日、壬生で死去した。享年55。跡を長男の忠意が継いだ。