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松原芳太郎

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松原 芳太郎(まつばら よしたろう、1862年1月14日文久元年12月15日[1]) - 1928年昭和3年)11月4日[2][3])は、明治から大正時代の政治家銀行家大地主[1]衆議院議員貴族院多額納税者議員

経歴

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美濃大垣藩池田郡萩原村岐阜県池田郡萩原村、揖斐郡萩原村、本郷村、温知村を経て現池田町)出身[4]。松原樹太郎の長男[1]1889年(明治22年)3月、家督を相続する[1]農業を営む[1]

1880年(明治13年)以降、萩原村戸長、同村会議員、岐阜県会議員[2]、所得税調査委員長、大野・池田郡農会副会頭、大垣銀行[注 1]大垣共立銀行各取締役、濃飛農工銀行[注 2]監査役、同取締役、岐阜県農事協会長を歴任した[3]

1894年(明治27年)3月の第3回衆議院議員総選挙では岐阜県第4区から出馬し当選[3]。衆議院議員を1期務めた[3]。また、1911年(明治44年)岐阜県多額納税者として貴族院議員に互選され[2]、同年9月29日[5]から1915年(大正4年)7月1日に任期途中で辞職するまで務めた[6]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 三菱UFJ銀行の前身行のひとつ。
  2. ^ みずほ銀行の前身行のひとつ。

出典

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参考文献

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