村松殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

村松殿(むらまつどの、永禄8年(1565年) - 寛永7年6月20日1630年7月29日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。小山田茂誠正室真田昌幸の長女[1]。子に小山田之知

生涯[編集]

永禄8年(1565年)、真田昌幸の長女として誕生。母は山手殿(遠山氏とも)。名は於国。弟に信幸(信之)信繁(幸村)らがいる。

天正10年(1582年)以前に甲斐国都留郡の国衆・小山田氏の一門である小山田有誠の子・茂誠に嫁いだ(天正10年の甲州征伐による武田氏滅亡時に之知は乳児であったと伝わる[2])。この婚姻が縁で茂誠は後に昌幸の家臣となり、信之の家老となった[1]。また、夫・茂誠が昌幸から小県郡村松(現在の青木村)を領地として与えられ、そこに住んでいたため、村松殿と呼ばれた[1]

なお、『加沢記』(江戸初期に沼田藩右筆の加沢平次左衛門が記した覚書)の記述によると、昌幸が織田信長に臣従した際の人質として安土城に送られ、本能寺の変直後に行方不明となるが2年後に伊勢国桑名で保護されたという[3]。村松殿が人質として安土へ送られたとする伝承について、丸島和洋は遠隔地での国衆(国人領主)の人質は現地で預かることが基本であり、極めて疑わしいとしている[4]

長姉として、信之や信繁に敬愛されていたらしく、信繁が大坂冬の陣が終わった後の慶長20年(1615年)1月24日に彼女宛てに書いた手紙が残されている[5]

寛永7年(1630年)6月、死去。法名は宝寿院殿残窓庭夢大姉[1]

関連作品[編集]

テレビドラマ

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d 柴辻俊六 著『人物叢書‐真田昌幸』吉川弘文館、1996年、p.81
  2. ^ 丸島2015、p.176
  3. ^ 「四〇 信長公御生涯 附安土へ被遣候人質御娘子樣之事」(『加沢記』)
  4. ^ 丸島2015、p.111
  5. ^ 川口素生「真田一族人物事典」、小林計一郎編『決定版 真田幸村と真田一族のすべて』KADOKAWA、2015年、147頁

参考文献[編集]