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朴成範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朴成範
박성범
生年月日 (1940-03-17) 1940年3月17日(84歳)
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮平安北道宣川郡
出身校 建国大学校中央大学校
所属政党新韓国党→)
ハンナラ党→)
無所属
配偶者 申恩卿朝鮮語版

選挙区 ソウル特別市中区
当選回数 2回
在任期間 1996年5月30日 - 2000年5月29日
2004年5月30日 - 2008年5月29日
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朴成範
各種表記
ハングル 박성범
漢字 朴成範
発音: パク・ソンボム
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朴 成範(パク・ソンボム、1940年3月17日 - )は、大韓民国政治家記者KBSニュース9アンカーを経て、国会議員を2期務めた。本貫密陽朴氏キリスト教徒[1]

経歴

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1940年に、平安北道宣川郡で生まれた。高麗大学校2年修了、建国大学校中央大学校大学院卒業[1]1966年に、ソウルテレビジョン放送局(現在の韓国放送公社、KBS )に記者として入社し、1973年から1976年まで外信部の記者を務めた。1986年から1991年までKBSニュース9アンカーを務め、1996年にKBSを退社した。

1996年4月に行われた、第15代総選挙ソウル特別市中区東区から新韓国党候補として出馬し、当選する。

2000年4月に行われた、第16代総選挙ハンナラ党(新韓国党が1997年に党名改称した政党)から出馬し、新千年民主党候補の鄭大哲に敗れ落選する。

2004年4月に行われた、第17代総選挙ではハンナラ党の公認を巡って、妻の申恩卿朝鮮語版と対立したが朴が公認を得た[2]。ハンナラ党公認で出馬し、当選した。2006年4月13日にソウル特別市中区の成楽合朝鮮語版庁長夫人から庁長候補公認の見返りとして、朴の夫人の申恩卿が献金やブランド品を受け取った疑惑が発覚した[3]。ハンナラ党から検察に捜査依頼を出され、朴はハンナラ党を離党した[4]。その後、ソウル中央地方検察庁から出国禁止の処分を受け捜査された[5]

2008年4月に行われた、第18代総選挙ではハンナラ党の公認が得られなかった。そのため出馬を断念し、代わりに妻の申恩卿が自由先進党候補として出馬した[6]。朴も妻を支援したが民主統合党候補に敗れ落選した。

他に韓瑞大学校教授を務めた[1]

脚注

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  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2022年2月14日閲覧。
  2. ^ 朴成範・申恩卿夫婦間で公認競争 中央日報 2004年2月3日
  3. ^ 複雑微妙な視線たち 東亜日報 2006年4月14日
  4. ^ 金徳竜、朴成範両議員の夫人などに出国禁止 東亜日報 2006年4月14日
  5. ^ 郭成文・韓善𨥉ハンナラ議員も調査対象 東亜日報 2006年4月15日
  6. ^ 「承服、不服、復讐」各党の公認脱落者、反応もまちまち 東亜日報 2008年3月20日