コンテンツにスキップ

木村圭佑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

木村 圭佑(冬扇)(きむら けいすけ〈トーセン〉、1984年9月17日(41歳) - )は、日本の元ダンサー。冬扇はダンスの際に用いた名前である。日本語教師、YouTuber、TikToker。

鳥取県西伯郡日吉津村生まれ。身長172cm。鳥取県立米子西高等学校卒、鳥取県立米子東高等学校専攻科修了、筑波大学体育専門学群卒業。

KKC杯コンテストにおいて最優秀賞、2006年の大会で準グランプリ受賞を始め、団体では2004年、2006年のAJDF-kobeにおいて文部科学大臣賞を受賞、その他数々の舞台に出演した。

来歴

[編集]

第4頸椎脱臼骨折からの復帰

[編集]
  • 高校時代、プールの飛び込みにより首の骨を骨折。[1]一時は全身麻痺に陥るも、2年以上のリハビリにより奇跡的な回復を遂げる。のち、筑波大学ダンスで入学。大学日本一受賞までの密着ドキュメントがNHKより放映され反響を呼ぶ。

野球部時代

[編集]

エアロビクスインストラクターの夢

[編集]
  • 野球部時代に通っていたスポーツクラブにて行っていたエアロビクスに本格的に取り組む。
  • 高校生の時、島根県松江市の養成コースに入学しエアロビクスインストラクターを目指すも、エアロビクスインストラクターの試験目前に首を骨折(上記)し、断念。

ダンサー時代

[編集]
  • 趣味として普段よりダンスを習っていた。ジャンルはジャズダンス、HIPHOPクラシックバレエなどを中心とする。
  • 高校時代は日本チャンピオン経験者のリッキーの下で学び、数々の舞台に出演する。
  • 脱臼骨折(上記)によりこちらも一時中断するが、リハビリも兼ねて再開。筑波大学へ入学するために本格的に再開し、翌年ジャズダンスで筑波大学へ入学。
  • 2004年AJDF-kobeにて文部科学大臣賞受賞。
  • 2005年、野球部時代より痛めていた膝の半月板を手術。ダンス部を退部。
  • 2006年、AJDF-kobeに復帰。文部科学大臣賞受賞。直後、日本語教師になるための勉強をするため、ダンスから離れる。

タイで日本語教師を始める

[編集]
  • 2004年、ダンスで日本一に輝き、密着映像がNHKで放送された。その放送を見て、息子が今絶対に調子にのっていると危惧した母親が離れて住む圭佑にタイ行きの航空券を送り、翌月タイの知り合いの元へ行かせた。そこはタイの中でもかなり貧しい地域であったため、本人はひどくカルチャーショックを受けた。[2]圭佑はそこで「いつか動けるようになったら誰か人のためにこの命を使いたい」と入院中に周りに話していたことを思い出し、タイで自分ができることを模索した。その後、現地でNPO法人の活動をしている日本人から言われた「お金は使えば無くなるが、教育によって得た知識はその人の一生の財産となる」という言葉に感銘を受け、日本語教師になる決心をする。[3]
  • 大学卒業後、現在まで現地の学校で日本語教師として働いているが、「格差社会であるタイで金銭面や環境面で教育を受けられない人」を1人でも多く救うためにと2010年よりYouTubeに日本語の授業動画をアップし始める。そのチャンネルが少しずつ日本語学習者と日本語教育に携わる教師の間で話題になり、タイで最も大きな大学受験情報サイト「Dek-D」で「誰でも無料でネイティブと日本語が学べる」「楽しい授業で説明もわかりやすく、試験対策にも最も優れたチャンネル」と紹介された[4]。現在ではチャンネル登録者も5万人を超え、タイで最も有名な「日本人の日本語教育系YouTuber」となった。

エピソード

[編集]
  • ダンスの際に用いた愛称「トーセン」は四字熟語「夏炉冬扇」からきている。
  • チャンネル登録者130万人以上のタイのYouTuber「BeamSensei[5]」が2022年4月18日に対談動画をアップ[6]し、圭佑自身のYouTubeの知名度が一気に上がった。これによりチャンネル登録者は倍増。タイ各地での仕事が大幅に増えた。
  • 有名な声優でもあるBeamSenseiの紹介で、タイで声優の仕事もしている。

外部リンク

[編集]

出典

[編集]

関連項目

[編集]