曽根城 (紀伊国)
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曽根城 (三重県) | |
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別名 | 曽根城、宇杉城、浄の城、つつじ城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 曽根弾正 |
築城年 | 弘治年間(1555年 - 1558年) |
遺構 | 曲輪、堀、石垣 |
指定文化財 | 市指定史跡 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯33度57分40.3秒 東経136度11分39.5秒 / 北緯33.961194度 東経136.194306度座標: 北緯33度57分40.3秒 東経136度11分39.5秒 / 北緯33.961194度 東経136.194306度 |
地図 |
曽根城(そねじょう)は、志摩国英虞郡[1](のち紀伊国牟婁郡)南輪内曽根(現在の三重県尾鷲市曽根町)にあった日本の城(山城)。曾根城とも表記される。別名「つつじ城」など。
概要
[編集]標高180メートル、比高178メートルの山頂に建てられた[2]。東西130メートル、南北30メートルの、10の郭があり、2箇所の掘割によって防御されていて、本丸は露出した巨岩を石垣の代用としている[2]。尾鷲市の市指定史跡に指定されている[3]。
歴史
[編集]弘治年間(1555年 - 1558年)に近江国甲賀の佐々木宇右衛門(一般には曽根に来て名乗ったとみられる曽根弾正と呼ばれる)が、曽根村落内に構えた居館の裏山に築城した[2]。
遺構・復元建造物
[編集]- 城曲輪、堀
- 物見岩 - 石垣が残る。
- 井戸跡 - 風雨にさらされないよう入口を塞ぎ、その上に巨石が置かれた。
周辺施設
[編集]- 城山公園 - 「オンツツジ 名吉花(カオヨバナ)の群生・ 城山公園」の看板あり。