三木城 (紀伊国)
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三木城 (三重県) | |
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別名 | 三鬼城 |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 三鬼新八郎 |
築城年 | 弘治年間(1555年 - 1558年) |
主な城主 | 三鬼新八郎、堀内氏善、加藤甚五郎、三鬼勘六 |
遺構 | 説明版 |
指定文化財 | なし |
再建造物 | なし |
位置 |
北緯33度59分10秒 東経136度14分31.6秒 |
地図 |
三木城(みきじょう)は三重県尾鷲市に存在した日本の城(平山城)である。
概要[編集]
現在は尾鷲市立三木小学校になっている。
歴史[編集]
堀内氏善は勢力拡大のため、三木城を攻め、三鬼新八郎は九鬼嘉隆の援軍を得て追い払っていた。堀内氏善は一計を案じ、九鬼嘉隆の娘を妻に迎えて三鬼新入郎の孤立を図る。
天正3年(1575年)に堀内氏善が攻めてきた際には九鬼嘉隆は三鬼新八郎を支援せず、城は落城し、三鬼新入郎は奈良県の上北山村へ逃れたものの、堀内氏善の配下により殺された。
堀内氏善は少しの兵力を残して新宮に帰ったが、それを狙って紀伊長島城主である加藤甚五郎は奥村氏を誘って攻め落とし、在城した。これを知った堀内氏善は天正4年(1576年)に2,000の兵力を率いて夜討ちをかけた。加藤甚五郎の軍勢は多数の死傷者を出しながらも何とか本拠である紀伊長島城に戻ったが、奥村氏の裏切りにより更に不利な状況となり、数ヶ月間戦った後、紀伊長島城は焼失し、加藤甚五郎は自刃した。54歳であったといわれている。
その後、三木城は三鬼新八郎の息子三鬼勘六が城主になった。