日置町 (山口県)
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へきちょう 日置町 | |||||
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廃止日 | 2005年3月22日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 長門市、三隅町、日置町、油谷町→長門市 | ||||
現在の自治体 | 長門市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方 | ||||
都道府県 | 山口県 | ||||
郡 | 大津郡 | ||||
市町村コード | 35482-1 | ||||
面積 | 44.82 km2 | ||||
総人口 |
4,668人 (2004年10月1日) | ||||
隣接自治体 | 長門市、大津郡油谷町 | ||||
町の木 | くろまつ | ||||
町の花 | はまゆう | ||||
日置町役場 | |||||
所在地 |
〒759-4401 山口県大津郡日置町大字日置上5926番地 | ||||
外部リンク | 日置町 | ||||
座標 | 北緯34度23分06秒 東経131度06分13秒 / 北緯34.38489度 東経131.10358度座標: 北緯34度23分06秒 東経131度06分13秒 / 北緯34.38489度 東経131.10358度 | ||||
ウィキプロジェクト |
日置町(へきちょう)は、山口県の北西部、大津郡にあった町である。中世に畿内で官人などに見られる日置氏はこの地名に由来すると言われている。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、日置上村・日置中村・日置下村・野田村・蔵小田村の区域をもって日置村が発足。
- 1954年(昭和29年)5月1日 - 大字蔵小田の一部が油谷町の一部となる。
- 1978年(昭和53年)4月1日 - 日置村が町制施行して日置町となる。
- 2005年(平成17年)3月22日 - 長門市・三隅町・油谷町と合併し、改めて長門市が発足。同日日置町廃止。
教育
[編集]- 日置小学校
- 神田小学校
- 日置中学校
- 山口県立日置農業高等学校
政治
[編集]1929年に刊行された『郷土の誇り 山口県々勢 第3輯』によれば村長、助役、村会議員は以下の通り。
- 村長
- 浴野完[1]
- 助役
- 兒玉八郎[1]
- 村会議員
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(欠員2名)[1] |
人口
[編集]1929年に刊行された『郷土の誇り 山口県々勢 第3輯』によれば、戸数1642、人口7994[1]。
産業
[編集]漁業・農業を中心とした第一次産業が中心である。
農業
[編集]『大日本篤農家名鑑』によれば、日置村の篤農家は「南野市太郎、松尾浅吉、沖原敲月、児玉秀之進、石合野鐡蔵、末永松太郎、中村鐡之助、江原慶蔵、松岡松治郎、東永秀一、上野半二郎」などがいた[2]。
漁業
[編集]漁港として黄波戸漁港がある。日置町の中でも黄波戸地区は漁業を中心とした経済基盤で成り立っている。特にイカやウニは、隣接する油谷町、長門市と同様、名産である。
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 一般国道
- 主要地方道
- 一般県道
出身者
[編集]- 安倍寛 - 元日置村長[3]、元衆議院議員(日本進歩党)。安倍晋太郎元衆議院議員の父。内閣総理大臣を務めた安倍晋三衆議院議員、岸信夫参議院議員の祖父。
- 大西倉雄 - 長門市長。
- 江原達也 - 長門市長。
- 長谷川閑史 - 元武田薬品工業代表取締役社長。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 山口県勢刊行会編『郷土の誇り 山口県々勢 第3輯』山口県勢刊行会、1929年。
- 衆議院事務局編『衆議院要覧 昭和17年11月 乙』内閣印刷局、1942年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 日置町(2005/02/25アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 山口県大津郡日置村 (35482A1968) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ
- 山口県大津郡日置町 (35482A1978) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ