日本映画社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

日本映画社(にっぽんえいがしゃ)とは、昭和前期に存在した映画会社である。略称、日映。ロゴは略称をもとにした「日央日」(左右対称で、右横書きで日映と読める)。

概要[編集]

第二次世界大戦中に大日本帝国政府の意向を受けたニュース映画国策宣伝映画を製作した。ニュース映画のほかに、記録映画、教育映画、科学映画を多数製作した。

1940年4月に各大手新聞のニュース映画部門を統合した「社団法人日本ニュース映画社」として設立され、翌年の1941年に「社団法人日本映画社」と改称。1946年に株式会社化し、「株式会社日本映画社」となった。1951年に日本映画新社、日映学芸映画製作所、日映科学映画製作所(日映学芸映画製作所と日映科学映画製作所は後に合併)、日映美術に分社化され、解散した。

沿革[編集]

『The General Effects of the Atomic Bombs on Hiroshima and Nagasaki』
  • 1939年 - 映画法が制定され、映画館で映画の上映前後には必ずニュース映画を上映することが義務付けられる。
  • 1940年4月 - 政府の統制を容易にするため、朝日新聞社大阪毎日新聞社東京日日新聞大阪毎日新聞)、読売新聞社の大手新聞3社と同盟通信社のニュース映画部門が統合され、社団法人日本ニュース映画社となる。一時は1,000人を超すスタッフを有する一大報道機関となる[1]
    • 同年6月「日本ニュース」第1号封切られる。記念すべきトップ項目は「昭和天皇関西御巡幸」であった。
    • 皇室関連のニュースは必ずトップ扱いであった(例えば第157号では、山本五十六国葬の前に、昭和天皇の海軍大学校・軍令部訪問のニュースが入っている)。また敬意を表す意味で当該ニュースの冒頭、右上(縦書きの場合。作品によっては画面いっぱい)に「脱帽」、ないしは「謹寫」(きんしゃ)の字幕が出た。
    • 当時の製作データ
  • 1941年 - 東宝松竹の文化映画部門と各文化映画製作会社を吸収し、社団法人日本映画社へ改組。週1本のニュース映画と多数のプロパガンダ映画を製作する。
    • 皇室・国軍・一部国外ニュースについては各官庁、特に軍部の厳格・厳重なる検閲が実施された。検閲をクリアした項目については「XXX(検閲した機関の名前、海軍省要塞司令部がほとんどであった)検閲済」の字幕を入れていた[1]
    • また軍事機密保持の観点から、「〇〇部隊」「〇〇基地」といった伏せた表現も用いられた。
  • 1945年 - 原爆投下後の広島原爆投下後の長崎を撮影("The General Effects of the Atomic Bombs on Hiroshima and Nagasaki")。終戦により、映画法廃止。戦没した従軍カメラマンは45人に及んだ[1]
  • 1946年 - 社団法人日本映画社は、株式会社日本映画社へ改組。『日本の悲劇』上映禁止となる。
    • 1月1日公開分から「新生日本ニュース」として再出発。第1号冒頭で、

日本ニュースが生れ変りました。 旧い殻を脱ぎすてるべく、我々は昨年の十月、社団法人日本映画社を解散し、 新しき年とともに、新しき陣容と、新しき思想を以て、株式会社日本映画社を創立しました。 そしてここに、働く皆様の眼となり、声となり、民主日本の建設に力を盡す、新生日本ニュース第1号を送ります。〔本文は旧字。句読点は引用者〕

と、製作方針の転換を表明。トップ項目は「公職追放令」で、前年まで投獄されていた宮本顕治がインタビュー出演している。これ以後、「遂に居据った幣原内閣」など、政府当局と一線を画した報道へとシフトする。また東亜発声株式会社の協力による街頭録音、投書と映像で構成される「みなさんの声」など、一般国民の声を積極的に取り上げはじめる。同年、東宝が配給会社となる。
  • 1948年 - 『生きているパン』公開。北大教授中谷宇吉郎との共作『霜の花』、『大雪山の雪』完成。ニュース映画では清水崑による風刺コーナー「漫画の頁」はじまる。5月上映の「学生はどうしている」「“芸術?”に御用」では、はじめて女性の裸体が映る。
  • 1949年 - 日本映画社教育映画部、朝日文化賞受賞。
  • 1949年 - 『空気のなくなる日』 渡辺善夫うしおそうじらが参加し、合成作画を担当した。
  • 1950年 - 『稲の一生』公開。
  • 1951年 - 東宝の全額出資により、ニュース映画部門を中心に株式会社日本映画新社へ改組。教育映画部は日映科学映画製作所と日映学芸映画製作所に分社化。映画のタイトルなどを製作するスタッフは、日映美術を事業化した。

脚注[編集]

[ヘルプ]

出典[編集]

  1. ^ a b c 『日本ニュース映画史 開戦前夜から終戦直後まで』別冊一億人の昭和史 毎日新聞社 1977年

外部リンク[編集]