成瀬之虎

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成瀬之虎
時代 江戸時代前期
生誕 寛永11年(1634年[1]
死没 寛永15年12月2日1639年1月5日[1]
別名 藤蔵[2]
戒名 松露院幻滴[2]
墓所 千葉県船橋市宝成寺[3]
幕府 江戸幕府
下総栗原藩
氏族 成瀬氏
父母 父:成瀬之成
母:片桐且元の娘(片桐孝利の養女)[2]
兄弟 内記、之虎、女子、女子(成瀬正虎養女[2]小出英知正室[4]
なし
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成瀬 之虎(なるせ ゆきとら)は、江戸時代初期の大名下総栗原藩の第3代藩主。父・成瀬之成の死を受けて1歳で家督を継承するが、5歳で早世。無嗣絶家により栗原藩は廃藩となった。

生涯[編集]

寛永11年(1634年)、第2代藩主・成瀬之成の次男として生まれる[2]。兄として内記がいたが、早世している[2]

之虎が生まれた寛永11年(1634年)の10月28日に父が死去し[2]、12月に1歳の之虎が遺領を継承することが認められる[2]。しかし寛永15年(1638年)12月2日、之虎はわずか5歳で死去した[2]。嗣子は無く、栗原藩成瀬家は無嗣断絶となり[2][1]、栗原藩は廃藩となった[5][1]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 成瀬之虎”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2024年5月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『寛政重修諸家譜』巻第九百四十八「成瀬」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.995
  3. ^ 大名成瀬氏と船橋”. 船橋市西図書館郷土資料室. 2024年5月5日閲覧。
  4. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第九百四十八「成瀬」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.994
  5. ^ 栗原藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年5月5日閲覧。