弓削太郎

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弓削 太郎(ゆげ たろう、1923年 - 1973年)は、日本映画監督

略歴[編集]

東京生まれ。中央大学法学部卒業。1947年大映東京撮影所に助監督として入社。1960年、「女は抵抗する」で初監督。以後、大映のプログラムピクチャーを多く監督した。

大映倒産後の1972年から消息が途絶え、1973年5月20日に遺体が発見された。自殺とみられるが詳細は不明である。

主な作品[編集]

特に表記のないものは大映東京作品

参考文献[編集]

  • 『日本映画監督全集』、キネマ旬報第698号、キネマ旬報社、1976年発行

関連項目[編集]

外部リンク[編集]