康忠

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康忠
各種表記
ハングル 강충
漢字 康忠
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康忠(カンチュン、강충、生没年不詳)は、高麗の初代王王建の6代祖先。

概略

高麗の初代王王建の最古の先祖康虎景(中国の陝西省京兆郡出身の康叔の次男康侯の67代子孫[1][2][3])が、平那山に狩りに行くと山神と出会い、山神が「結婚して、2人で神権政治を治めましょう」と持ち掛ける。康虎景は、もともと妻がいて、妻のことが忘れられず夢の中で訪ねて、妻が身ごもったという。そこで生まれたのが康忠である[4]。ある日、新羅風水師・八元(パルウォン)が康忠のもとを訪ねて、「松岳山に松を植え、岩肌が見えないようにすれば、三韓を統一する人物が生まれるだろう」と予言して、松を植えたところ、岩を覆い松岳となり、後世王建が生まれたという[5]

家系

康忠は、伊帝健・宝甸・宝育の3人の子を授かる。宝育は2人の子を授かり、その2人の子の末娘辰義中国人とのあいだに生まれたのが王帝建である。王帝建は、中国平州出身の頭恩坫角干の娘(元昌王后)と結婚して、息子の王隆を生む。その王隆の息子が高麗の初代王王建である[6][7][8]

家族

脚注

参考文献