希望の泉

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希望の泉

希望の泉(きぼうのいずみ)は、愛知県名古屋市中区久屋大通公園名古屋テレビ塔南側、錦通広小路通に挟まれた希望の広場にある噴水

概要[編集]

直径20mの噴水池上に、円形の水盤が3枚、中心を外して入れ違いに積み上げられ、それぞれの水盤と噴水池から水を噴出する構造になっている。最上盤の水盤には、館野弘青の裸婦ブロンズ像が取り付けられている[1]

名古屋テレビ放送(当時の商号:名古屋放送。愛称:メ〜テレ)が、1969年昭和44年)に名古屋市に寄贈した[2]。泉の銘は、当時の神谷正太郎社長の手によるものである[3]

最寄り駅[編集]

その他[編集]

1969年(昭和44年)から1980年(昭和55年)の名古屋テレビのオープニング・クロージングフィルムにはこの噴水が登場している。旧社屋の正面には希望の泉のミニチュア版もあったが、旧社屋と共に取り壊されている。

中に立ち入ってはならないが、プロ野球中日ドラゴンズが優勝を決めるたびに、この泉[4]にダイブする姿がしばしばテレビで放映されるようになっている。

一例として、2006年平成18年)に中日ドラゴンズがリーグ優勝した際には、飛び込みを警戒して多数の警察官が周りを取り囲む、異様な光景が見られた。2007年(平成19年)の中日ドラゴンズ日本シリーズ優勝時にも多数のファンが希望の泉に飛び込んだ。また、希望の泉の中心にある銅像にファンが落合博満監督のユニフォーム背番号:66)を着せ、更に中日の旗や応援タオルなどを持たせるなどをして、この銅像が名古屋市民の注目を集めることになる。

脚注[編集]

  1. ^ 名古屋放送社史編集委員会『希望の泉』名古屋放送、1972年、227頁。 
  2. ^ 実はこれ メ~テレの取り組みです!”. 名古屋テレビ放送【メ~テレ】. 2022年7月11日閲覧。
  3. ^ 名古屋放送社史編集委員会『希望の泉II』名古屋放送、1982年。 
  4. ^ この泉のみならず、広小路通納屋橋から堀川にダイブする人もいた。昭和最後の優勝者はドラゴンズ・歓喜の夜に名古屋が沸いた!

参考文献[編集]

  • 名古屋放送社史編集委員会『希望の泉』名古屋放送、1972年。 
  • 名古屋放送社史編集委員会『希望の泉II』名古屋放送、1982年。 

関連項目[編集]