岩宮武二

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岩宮 武二(いわみや たけじ、1920年(大正9年)1月4日 - 1989年(平成元年)6月26日)は、日本写真家鳥取県米子市出身。

経歴[編集]

叔父(米子写友会の中心的メンバーであった村上誠三)が写真店を経営していたことから、少年期から写真に興味を持つ。

米子商蚕学校(現・鳥取県立米子南高等学校)卒業。阪急百貨店に就職後、プロ野球・南海(現・福岡ソフトバンクホークス)二軍に入るが、まもなく体を壊し退団[1]。商船会社に勤めるかたわら、入会した丹平写真倶楽部で、安井仲治上田備山らと知り合う。

第二次世界大戦での出征を経て、戦後に「岩宮フォトス」を開業しフリーカメラマンとなる。1962年『佐渡』(朝日新聞社)。1966年(昭和41年)、大阪芸術大学教授、写真集『京 Kyoto in KYOTO』で毎日芸術賞受賞。1969年、『宮廷の庭1・2・3』で芸術選奨文部大臣賞受賞。他に『アジアの仏像』など作品集を多数残している。

1975年、『京都の庭』シリーズの写真ネガを預けていた出版社に男が押し入りネガが盗まれた。出版社は岩宮に500万円の賠償金を支払ったが、これを知った男が岩宮を脅迫して賠償金を奪おうと計画。東アジア反日武装戦線名で岩宮に脅迫状を送り付けたが、男は翌年までに警察に捕捉され書類送検された。単独犯であり、過激派などの背後関係は無かった[2]

生誕100年にあたる2020年には回顧展が東京、大阪、出身地の鳥取県米子市で開催された。

主な作品は、大阪府、大阪芸術大学、東京都写真美術館、鳥取県立博物館、米子市美術館などに収蔵されている。

関連人物[編集]

参考文献[編集]

コトバンク”. 朝日新聞社. 2013年7月9日閲覧。

脚注[編集]

  1. ^ 岩宮武二展、略年譜
  2. ^ 写真家恐喝を自供 ネガ盗んだ上に脅迫状『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月23日夕刊、3版、9面