岩倉具選

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岩倉具選
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦7年1月4日1757年2月21日
死没 文政7年7月7日1824年8月1日
改名 涼吉(幼名)→家具→具選→可吸(号)
別名 字:子訓
墓所 京都府京都市出水通六軒町の清光寺
官位 従三位
主君 後桜町天皇
氏族 柳原家岩倉家
父母 父:柳原光綱、母:織田信休の娘
養父:岩倉広雅
兄弟 柳原紀光具選日野資矩正室
正室:綾小路有美の娘
具集
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岩倉 具選(いわくら ともかず)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿権大納言柳原光綱の末子。官位従三位岩倉家9代当主。

経歴[編集]

幼名を涼吉、後に家具(いえとも)と改め更に具選とした。岩倉広雅の養子となる。正室は権大納言・綾小路有美の娘。

宝暦13年(1763年)に叙爵。以降累進して、弾正少弼侍従を経て、安永2年(1773年)には後桜町上皇院伴官代となる。右近衛少将近江介を経て、安永9年(1780年)には上皇の信任を得て院別当へ昇格している。天明8年(1788年)には従三位に達して公卿に列した。しかし寛政8年(1796年)贋金造りの嫌疑により蟄居となり、寛政9年(1797年)に落飾した。晩年に剃髪し可汲と号した。狩野派に学び絵を能くした。

文政7年(1824年)、薨去。享年68。京都出水通六軒町の清光寺に葬られた。

人物[編集]

文学を好み、和歌詩文を善くした。また画も得意とし篆刻に巧みだった。篆刻は高芙蓉に師事。その刻した印は『芙蓉山房私印譜』に掲載される。寛政5年(1793年)に『楷林』上下2冊を刊行した。

系譜[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

先代
岩倉広雅
岩倉家
9代
次代
岩倉具集