尾張旭市立本地原小学校
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尾張旭市立本地原小学校 | |
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北緯35度11分54秒 東経137度1分49.5秒 / 北緯35.19833度 東経137.030417度座標: 北緯35度11分54秒 東経137度1分49.5秒 / 北緯35.19833度 東経137.030417度 | |
過去の名称 | 旭町立本地原小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 尾張旭市 |
設立年月日 | 1954年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210007836 |
所在地 | 〒488-0041 |
愛知県尾張旭市南新町中畑252 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
尾張旭市立本地原小学校(おわりあさひしりつ ほんじがはらしょうがっこう)は愛知県尾張旭市南新町にある公立の小学校。
概要
[編集]- 校区は上の山町(一部)、北本地ケ原町、東本地ケ原町、南本地ケ原町、長坂町、晴丘町、南栄町、南新町、緑町であり、児童は尾張旭市立旭中学校に進学する[1][2]。
- 校区はかつて大日本帝国陸軍本地ヶ原演習場であった地域である。戦後開拓により1945年11月に150世帯が入植。その児童のために設置された小学校である。1970年代からこの地域の工場の増加や住宅団地の開発により児童数が急増した。
沿革
[編集]- 1949年(昭和24年)2月 - 本地ヶ原の入植者から、小学校建設の機運が高まる。
- 1951年(昭和26年)
- 3月26日 - 本地ヶ原開拓組合により、旭小学校の分校として組合立旭小学校本地原分校を設置する。校舎は旧・本地ヶ原演習場の兵舎を使用する。
- 4月3日 - 開校式を行う。児童数は92名。
- 1954年(昭和29年)1月 - 独立し、旭町立本地原小学校として開校する。
- 1965年(昭和40年)5月 - 新校舎(北館・鉄筋コンクリート造平屋)が完成する。
- 1970年(昭和45年)12月1日 - 尾張旭町に改称。市制施行し、尾張旭市となる。同時に尾張旭市立本地原小学校に改称する。
- 1972年(昭和47年)
- 5月 - 南館(鉄筋コンクリート造3階建)が完成する。旧・兵舎の校舎を取り壊す。
- 7月 - プールが完成する。
- 1975年(昭和50年)12月 - 体育館が完成する。
- 1977年(昭和52年)2月 - 南館を増築する。
- 1978年(昭和53年)12月 - 北館を2階建に増築する。
校歌
[編集]交通アクセス
[編集]学校周辺
[編集]- 矢田川
- 新池公園
- 尾張旭市立西中学校
- 尾張旭市立瑞鳳小学校
- 名古屋市立本地丘小学校
- 愛知県立長久手高等学校
- 長久手市立北中学校
- 日立オムロンターミナルソリューションズ
- 尾張東部衛生組合晴丘センター
- 国道363号(瀬港線)
著名な卒業生
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]参考文献
[編集]- 尾張旭市誌 (尾張旭市誌編さん委員会 1971年) P.454 - 502
- 尾張旭市誌 現代編(尾張旭市誌編さん委員会 2011年) P.575 - 588