尾崎富士雄
基本情報 | |
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本名 | 尾崎 富士雄 |
階級 | ウェルター級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1961年10月7日(62歳) |
出身地 | 青森県八戸市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 31 |
勝ち | 25 |
KO勝ち | 16 |
敗け | 6 |
尾崎 富士雄(おざき ふじお、1961年10月7日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県八戸市出身。帝拳ボクシングジム所属。階級はウェルター級。ニックネームは和製デュラン。
来歴
[編集]八戸工業大学第一高等学校時代にインターハイライトウェルター級準優勝、1980年5月19日、デビュー戦で奥秋照雄と対戦し、1RKO勝ちを収めた。
東日本ジュニアウェルター級新人王を獲得するが、全日本新人王決定戦では西日本の赤井英和に3RKO負けを喫した。
1982年8月6日、成田城健が持つ日本ライト級王座に挑戦し、判定で奪取。
1983年6月3日、シャイアン山本に判定で敗れ王座陥落するも、9月2日の再戦で判定で奪還。しかし、12月2日、友成光に7RKO負けを喫し、再び陥落。
階級をウェルター級に上げ、1985年6月6日、串木野純也を判定で下し日本王座獲得。2度防衛後、1986年2月6日、田端信之に判定で敗れ王座陥落。しかし6月5日の再戦で5RKOにより王座奪還。2度目の防衛戦はチャンピオン・カーニバル、日本タイトル挑戦権獲得トーナメント優勝者の友成光相手にKO防衛し王座返上。
1988年2月5日、アメリカ合衆国ニュージャージー州アトランティックシティでマーロン・スターリングが持つWBA世界王座に挑戦。尾崎は終盤に主導権を奪い、最終回にスターリングをロープに詰めて連打を叩き込むと、ダメージを負った王者がマウスピースを吐き出す場面もあった[1]。当時の「ニューヨーク・タイムズ」には、王者が尾崎より優れていることは明らかだったものの、軽いパンチを当てるだけで単なるジムワークのように戦う王者に試合の間じゅうブーイングが起こり、8回と9回の間のインターバルにはプロモーターが王者を怒鳴りつけ、ユナニマス・デシジョンで勝った王者のパフォーマンスにプロモーターと4,925人の観客の多くが当惑したと記述されている[2]。
1988年7月7日、フランシスコ・フェラーを判定で退け、OPBF東洋太平洋王座獲得。2度防衛後返上。
1989年12月10日、後楽園ホールにてマーク・ブリーランドが持つWBA世界王座に、世界1位の指名挑戦者として再挑戦。3R終盤にブリーランドの左アッパーにより古傷の右瞼をカットして大流血、これが響いて4R35秒TKO負け。この試合を最後に現役引退、現在は美容室経営者の夫人の故郷・福岡県でサラリーマン生活を送っている。
戦績
[編集]- 31戦25勝(16KO)6敗
獲得タイトル
[編集]- 第28代日本ライト級王座(防衛3)
- 第30代日本ライト級王座(防衛1)
- 第30代日本ウェルター級王座(防衛2)
- 第32代日本ウェルター級王座(防衛2=返上)
- 第18代OPBF東洋太平洋ウェルター級王座(防衛2=返上)
入場曲
[編集]「BEHIND THE RAIN」(ハーブ・アルパート)
脚注
[編集]- ^ ボクシング・マガジン編集部 編『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』ベースボール・マガジン社、2004年3月1日、314頁。ISBN 978-4-583-03784-4。
- ^ Phil Berger (1988年2月6日). “Starling Is Winner In Lackluster Effort”. ニューヨーク・タイムズ. 2012年8月6日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 成田城健 |
第28代日本ライト級王者 1982年8月6日 - 1983年6月3日 |
次王者 シャイアン山本 |
前王者 シャイアン山本 |
第30代日本ライト級王者 1983年9月3日 - 1983年12月2日 |
次王者 友成光 |
前王者 串木野純也 |
第30代日本ウェルター級王者 1985年6月6日 - 1986年2月6日 |
次王者 田端信之 |
前王者 田端信之 |
第32代日本ウェルター級王者 1986年6月5日 - 1987年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 坂本孝雄 |
空位 前タイトル保持者 鄭栄吉 |
第18代OPBF東洋太平洋ウェルター級王者 1988年7月7日 - 1989年11月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 曺容培 |