小谷田勝五郎
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小谷田 勝五郎(こやた かつごろう、1814年(文化11年) - 1869年(明治2年)12月4日)は、幕末、明治時代の農家。平田篤胤の著書『勝五郎再生記聞』の題材となった人物として知られる。
経歴[編集]
武蔵国多摩郡中野村(現在の東京都八王子市東中野)の農家、小谷田源蔵の息子として生まれる。
1822年(文政5年)のある夜、突然家族に「自分はもとは程久保村(現日野市程久保)の藤蔵という子どもで、6歳の時に疱瘡で亡くなった」と言い、あの世に行ってから生まれ変わるまでのことを語った。語った話が実際に程久保村で起こった話そのものであり、村に行かなければ分からない話を知っていたということでその当時大騒ぎとなり、話は江戸まで知れわたった[1]。
翌1823年(文政6年)、4月、勝五郎の噂に関心を持った平田篤胤は勝五郎を自分の屋敷に招き、7月に聞き取った内容を『勝五郎再生記聞』という書物にまとめている。1825年(文政8年)には湯島天神の男坂下にあった平田が経営する国学塾「気吹舎」に入門、平田の門人となった[1]。
その後は父源蔵の家業である農業、目籠仲買業を引き継ぎ中野村で暮らしたという[1]。1869年(明治2年)、55歳で死去。墓は同郡下柚木村の永林寺。
没後しばらく経過した1897年(明治30年)、小泉八雲も、随想集『仏の畠の落穂』に「勝五郎の転生」を著し、ロンドンとボストンで刊行した[2]。
脚注[編集]
- ^ a b c 勝五郎生まれ変わり物語
- ^ “日野市郷土資料館 特別展‘ほどくぼ小僧・勝五郎生まれ変わり物語’”. 多摩ニュータウンタイムズ. (2008年9月1日). オリジナルの2016年3月4日時点によるアーカイブ。 2016年2月12日閲覧。