小笠原長之

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小笠原長之
時代 江戸時代
生誕 慶長18年(1613年
死没 寛文11年10月21日1671年11月22日
改名 六之允(幼名)→小笠原長之
別名 八左衛門(通称
戒名 見室道性信士
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 清和源氏義光流石見小笠原氏
父母 父:小笠原長親
兄弟 就長長之
長重長経
養子:小笠原長信長野政利の次男)
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小笠原 長之(おがさわら ながゆき)は、江戸時代の武士。毛利氏家臣で長州藩士。父は石見小笠原氏の第16代当主・小笠原長親

生涯[編集]

慶長18年(1613年)、小笠原長親の次男として生まれる。当時の小笠原長親は、関ヶ原の戦い後に毛利氏を離れ、石見国津和野藩主・坂崎直盛に仕えていたが、坂崎直盛の津和野藩が改易となった元和2年(1616年)以降、毛利氏に帰参している。

石見小笠原氏が毛利氏に帰参し、兄の就長毛利秀就に側近として仕えるようになっても、長之は毛利氏に仕官していなかったが、就長の申し出により、父・長親の御養扶持を長之が相続することを秀就に許可された。ただし、後に就長の知行と長之の知行の交換が行われている。

寛文11年(1671年10月21日に59歳で死去。後を子の長重が継いだ。

参考文献[編集]

  • 萩藩閥閲録』巻81「小笠原友之進」、巻94「小笠原弥右衛門」