小張藩
小張藩(おばりはん[注釈 1])は、常陸国筑波郡小張(現在の茨城県つくばみらい市小張)を居所として、江戸時代前期に存在した藩[2]。
1603年に松下重綱が入封し、1623年に下野烏山藩へ転出するまで20年間存続した。その後、1679年に松平(石川)乗政が大名に列して再立藩するが、1681年に信濃小諸藩へ転出したため廃藩となった。
歴史
[編集]前史
[編集]松下重綱の時代
[編集]慶長8年(1603年)、遠江久野藩主であった松下重綱は、居城(久野城)の石塁を許可なく築いたことから幕府により懲罰的な移封を命じられ、小張に1万6000石で入った[3]。
重綱はその後の大坂の陣で軍功を挙げた[3]。元和9年(1623年)3月、5800石を加増の上で下野烏山藩に2万800石で移された[3][4]。
松平乗政の時代
[編集]徳川家綱に小姓として仕えていた松平乗政(大給松平家。石川乗政とも称する)は、寛文元年(1661年)に常陸国筑波郡内で5000石の所領を与えられた[5]。小張村にはその陣屋が置かれたという[6]。
延宝7年(1679年)7月10日、乗政は若年寄に就任するとともに[5]、常陸国西河内[注釈 3]・真壁両郡内で5000石を加増されて大名に列し、小張を居所とした[5]。これにより小張藩が再立藩する。天和元年(1681年)7月22日、下総国結城郡内で5000石を加増された[5]。
歴代藩主
[編集]松下家
[編集]外様。1万6000石。
- 重綱(しげつな)【慶長8年藩主就任-元和9年3月移封、廃藩】
松平(大給)家
[編集]譜代。1万石→1万5000石。
- 乗政(のりまさ)【延宝7年7月藩主就任-天和2年移封、廃藩】〔若年寄〕
領地
[編集]小張
[編集]松下重綱は小張城に入ったとされる[6]。茨城県南部地域には「綱火」と呼ばれる、仕掛け花火とあやつり人形とを結びつけた伝統芸能があるが[10][注釈 4]、小張愛宕神社の祭礼で行われる「小張松下流三本綱からくり花火」[6][11]は、松下重綱が戦勝祝い・戦死者供養のために考案したと由緒づけられている[6][10](花火#伝統花火参照)。伝承によれば、火薬の扱いに長けた重綱が家臣の大橋吉左衛門に伝授したものという[10]。
松下氏の転出後、当地は幕府領・旗本領となった[6]。伊奈忠次・忠治(半十郎)父子は鬼怒川と小貝川を分離し、常総にまたがって「
松平乗政の転出後は、関宿藩および旗本勝田氏の相給であったという[6]。
江戸時代に小張は谷田部街道の宿場町として栄え、上宿・中宿・下宿・愛宕の4坪(字)から成っていた[6]。谷田部街道(小張街道[16]、布施街道などとも)は水戸街道の脇往還で、我孫子付近の布施村(現在の千葉県我孫子市布施・柏市布施)[17]で水戸街道から分かれ、守谷・小張・谷田部を経由し、土浦付近の中高津(現在の茨城県土浦市中高津)で再び水戸街道に合流する[18][19][20]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ つくばみらい市小張は「おばり」と読む[1]。
- ↑ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
- ↑ 現在の茨城県西部[7]、下妻市・筑西市の一部にあたる地域。古代には新治郡に属したが、中世に律令制の郡の実体がなくなるとともに「西郡南条」「関郡」と呼ばれるようになった領域。戦国期には多賀谷氏領国の「下妻領」と認識され、太閤検地で郡の復元が図られた際に「河内郡」に改められた[8]。常陸国南部の河内郡とは隔てられているため、これと区別するため「西河内郡」と称された。その後元禄15年(1702年)に真壁郡に編入された[9](同時に、同様の状況にあった西那珂郡が茨城郡に編入された)。常陸国・新治郡 (常陸国)・河内郡 (茨城県)・真壁郡・河内村 (茨城県真壁郡)などの諸項目参照。
- ↑ つくばみらい市小張および高岡で行われている綱火は重要無形民俗文化財に指定されている。茨城県南部ではこのほか常総市大塚戸町の一言主神社で行われている。また、愛知県豊川市豊川西町の豊川進雄神社でも伝わる。
出典
[編集]- ↑ “つくばみらい市の郵便番号一覧”. 郵便番号検索. 日本郵政. 2022年12月30日閲覧。
- ↑ “小張藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2026年3月20日閲覧。
- 1 2 3 『寛政重修諸家譜』巻第四百十二「松下」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.122。
- ↑ 『大日本史料』第12編之24, p. 205.
- 1 2 3 4 5 『寛政重修諸家譜』巻第十「松平 大給」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.60。
- 1 2 3 4 5 6 7 “小張村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2026年3月20日閲覧。
- ↑ 石井智子「手描き彩色常陸国絵図の表現による分類と写図をめぐる人的ネットワーク」『歴史地理学』第58巻第2号、2016年、26頁、2026年3月20日閲覧。
- ↑ “関郡(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2026年3月20日閲覧。
- ↑ “真壁郡”. 角川日本地名大辞典. 2026年3月20日閲覧。
- 1 2 3 “8月|綱火 小張松下流・高岡流”. つくばみらい市観光協会. 2026年3月20日閲覧。
- ↑ “綱火”. 改訂新版 世界大百科事典(コトバンク所収). 2026年3月20日閲覧。
- 1 2 “伊奈神社”. つくばみらい市観光協会. 2026年3月20日閲覧。
- 1 2 “筑波郡”. 角川日本地名大辞典. 2026年3月20日閲覧。
- ↑ “第四編>第一章>第二節>伊奈氏の新田開発”. 水海道市史 上巻. 2026年3月20日閲覧。
- 1 2 “「伊奈氏ゆかりの地」協定締結のお知らせ”. つくばみらい市教育委員会. 2026年3月20日閲覧。
- ↑ “郷土の歴史”. つくば市. 2026年3月20日閲覧。
- ↑ “布施村(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2026年3月20日閲覧。
- ↑ “布施街道を歩く”. れきし街道歩き旅. 2026年3月20日閲覧。
- ↑ “布施街道道中記”. 街道の旅. 2026年3月20日閲覧。
- ↑ 金成典知「火曜部会 布施村の資料を読む前に」『我孫子市史研究センター会報』第251号、2023年4月26日、2026年3月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 東京帝国大学文学部史料編纂掛 編『大日本史料 第12編之24』東京帝国大学、1923年。NDLJP:3450644。