小島の春 (映画)

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小島の春
主演の夏川静江
監督 豊田四郎
脚本 八木保太郎
原作 小川正子
製作 重宗和伸
出演者 夏川静江
杉村春子
音楽 津川主一
撮影 小倉金弥
配給 東宝
公開 日本の旗 1940年7月31日
上映時間 88分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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小島の春』(こじまのはる)は、1940年に公開された日本映画[1]

概要[編集]

在宅らい病(ハンセン病)患者を国立療養所に収容する旅を記録した小川正子の同名手記『小島の春』を、八木保太郎が脚色し豊田四郎が監督した。

第17回キネマ旬報ベスト・テン第1位。

杉村春子は横川の妻と顔を見せない女患者の2役を演じている(女患者役はクレジットなし)。高峰秀子は自伝的エッセイ『わたしの渡世日記』の中で、「私は杉村春子の演技に、雷に打たれたようなショックを受けた」「終始うしろ姿を見せながら、カン高いセリフだけで演技する、ニックキ杉村春子の姿が、私の眼に焼きついて離れなかった」「人間の背中にも「顔」のあることを私は知った」と書いている[2]。また、森光子も杉村の演技に大きな感銘を受けたと述懐している[3]

子役時代の中村メイコがキヨ子役を演じ、女医を遠くに見ながら幾度もさよならを言う別れの名シーンを作った[4]

あらすじ[編集]

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

制作[編集]

1938年11月にハンセン病の救済活動に生涯を捧げた女医・小川正子の記録文学『小島の春』が出版される。

1939年4月に東京発生映画製作所の所長・重宗和伸が、この映画化を思い立ち企画する。当初はハンセン病患者を大衆向けの映画で扱うことの問題化を恐れ極秘に準備が進められた。しかし原作者が住んでいた山梨県塩山市の地元紙『山梨日日新聞』がすっぱ抜き、急遽、映画化を発表した。

1940年2月から長島愛生園を中心とする瀬戸内海ロケハンを開始、4月末に撮影に入った。撮影は現地ロケを計画していたが、北木島などの島では村の撮影を拒否。地元の強い反対にあい、自然の風景だけは瀬戸内海の各地で撮ったものの、俳優の出る場面はついに了解が取れず、西伊豆(静岡県)と長野県小諸で撮影した。

撮影は4月から6月にかけて行われ、正味の撮影実数はロケーション19日、セット15日と順調であった[5]

脚注[編集]

  1. ^ kinenote.
  2. ^ わたしの渡世日記 上
  3. ^ 女優 | 森光子 公式ウェブサイト
  4. ^ 小島の春 | 映画ナタリー
  5. ^ 登川直樹『映画史上ベスト200シリーズ・日本映画200』キネマ旬報社刊、1989年5月15日発行(134-135ページ)

参考文献[編集]

外部リンク[編集]