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安部信允

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安部信允
時代 江戸時代中期
生誕 享保13年(1728年
死没 寛政10年12月12日1799年1月17日
改名 安三郎(幼名)、信允、法雲(法号)
戒名 峻徳院法雲義潤
墓所 埼玉県深谷市の源勝院
官位 従五位下丹波守摂津守主水正
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家治
武蔵岡部藩
氏族 安部氏
父母 安部信興八木高輔
養父:安部信平
正室有馬一準
信亨日向正房(次男)、稲葉通碩(三男)、井上正清(四男)、柳沢里之正室、石川正勲正室、松平康休正室、安部信盈養女、安部信旨養女、安部信富養女
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安部 信允(あんべ のぶちか)は、江戸時代中期の大名武蔵国岡部藩7代藩主。官位従五位下丹波守摂津守主水正

生涯

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享保13年(1728年)、安部信興(3代藩主・安部信友の次男・信方の子)の次男として誕生。又従兄にあたる本家の6代藩主・安部信平が男児無くして寛延3年(1750年)に死去したため、末期養子として家督を継ぎ、12月に従五位下・丹波守に叙位任官する。

明和8年(1771年)7月に大坂定番に任じられ、7月24日に摂津守に遷任する。天明元年(1781年)9月に病気を理由に辞職した。藩政では藩邸に就将館を設立して藩士の文武を奨励している。

天明2年(1782年)9月11日、家督を長男・信亨に譲って隠居し、主水正に遷任する。寛政10年(1798年)12月12日に死去した。享年71。

系譜

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父母

正室

子女