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太田辨次郎

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太田 辨次郎 (弁次郎)(おおた べんじろう、1898年4月27日[1] - 1981年〈昭和56年〉11月11日[2])は、日本の実業家歌人

経歴

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四代目太田清蔵のニ男として、福岡県に生まれる[1]。実兄は五代目太田清蔵。1917年福岡県立中学修猷館[3]、1921年7月第五高等学校経済科[4]を経て、1924年7月東京帝国大学経済学部経済学科を卒業[5]

卒業後、博多湾鉄道汽船に入社し、副支配人となる。1926年6月、第一徴兵保険(東邦生命保険の前身)に転じ、取締役経理部長、1946年4月専務、1954年6月副社長を経て、1961年5月、兄五代目太田清蔵から引き継ぎ、東邦生命保険社長に就任[1]。1977年6月同会長となる[6]九州勧業箱根カントリー倶楽部芝パークホテル帝国ホテル西日本鉄道の取締役も務めた[1]

歌人でもあり、筆名「伊吹高吉」として、歌集を出版している[1]

歌集

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  • 『朝川』第二書房、1952年
  • 『保険百歌』白路出版部、1965年
  • 『その白き花を』白路出版部、1968年
  • 『日本の空』白路出版部、1975年
  • 『いちばん長い歌』白路出版部、1982年

脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録第31版』(人事興信所、1981年) オ-283頁
  2. ^ 『生命保険協会会報 第62巻第3号』92頁。
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員12頁
  4. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校、1936年)292頁
  5. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正12年至大正13年)』(東京帝国大学、1924年)學生及生徒姓名82頁
  6. ^ 『東邦生命80年史』(東邦生命保険、1980年)948頁

参考文献

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  • 『生命保険協会会報 第62巻第3号』生命保険協会、1982年。