太平洋テレビジョン

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太平洋テレビジョン(たいへいようテレビジョン)は、世界各国のテレビ映画などの日本語版制作、配給などを行なっていた日本の企業。

初期には、久松保夫らを中心に俳優600名あまり、マネージャー30名あまりを抱える芸能局を構え[1]、「テレビ芸能関係あっせん業」と位置づけられていた[2]1957年から、世界各国のテレビ映画の日本版を制作して、日本国内のテレビ局へ配給する事業を手がけ[3]1959年にはアメリカ合衆国NBCと独占契約を結び[1]、さらにナショナル・テレフィルム・アソシエイト (National Telefilm Associates, NTA)、イギリス英国放送協会 (BBC) などと提携して、NBCの『ララミー牧場』や『ボナンザ』、『アンディ・ウィリアムス・ショー』、NTAの『モーガン警部』などを配給していた[3][4]

1960年には、大規模な労働争議が起こり[2][5]、これを機に退社した芸能局のスタッフや俳優たちが、やがて東京俳優生活協同組合(俳協)を結成することになった[1][6]

太平洋テレビは、1962年に脱税(法人税法違反)容疑で社長であった清水昭が逮捕され、1964年に会社と清水社長が起訴されたが、1974年に無罪が確定した。清水はその後、国家賠償訴訟を起こすが敗訴し、その間に会社は休業状態に追い込まれた[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 日本俳優連合30年史 前史 一つのきっかけ”. 協同組合日本俳優連合. 2014年7月10日閲覧。
  2. ^ a b “太平洋テレビ無期限スト”. 朝日新聞・東京夕刊: p. 5. (1960年1月25日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  3. ^ a b ““酷税局”ズサン税務 脱税無罪 八千万円差し押さえ、九百万円しか返さず”. (1975年11月18日). p. 23  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  4. ^ a b “診察弁論(孤高の王国 裁判所100周年のいま:7)”. 朝日新聞・朝刊: p. 4. (1990年11月2日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  5. ^ “非組合員と小ぜり合い スト中の太平洋テレビ労組員”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 11. (1960年2月9日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  6. ^ “芸能局を解散 太平洋テレビ”. 読売新聞・朝刊: p. 9. (1960年2月9日) “[ちゃんねるゼロ]設立20年を迎えた俳協・理事長 原保美”. 読売新聞・朝刊: p. 27. (1980年6月8日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧