大多和義久
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時代 | 平安時代末期 |
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別名 | 三郎 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
氏族 | 桓武平氏良文流三浦氏→大多和氏 |
父母 | 父:三浦義明 |
兄弟 |
杉本義宗、三浦義澄、大多和義久、 佐原義連、多々良義春、長井義季、 杜重行、源義朝側室、畠山重能室、 金田頼次室、長江義景室、大河戸広行室 |
子 | 大多和義成、大多和久盛、大多和久村 |
大多和 義久(おおたわ よしひさ)は、平安時代末期の相模国三浦郡大多和城並びに鐙摺城の武将。桓武平氏平良文を祖とする三浦氏の一族。三浦義明の子で、大多和氏の祖。
寿永元年(1182年)11月には、源頼朝の妻北条政子による後妻打ち(うわなりうち)で、滞在していた伏見広綱宅を破壊された頼朝の愛妾亀の前が広綱に連れられて義久宅へ逃れてきている。