大伴子君

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大伴 子君
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
官位 勤大弐
主君 持統天皇
氏族 大伴宿禰
父母 父:大伴長徳
兄弟 杜屋、堅泡、友国国麻呂子君
御行安麻呂山守古麻呂
子虫
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大伴 子君(おおとも の こきみ)は、飛鳥時代の人物。宿禰右大臣大伴長徳の子。子に子虫がいたとする系図がある[1]冠位は勤大弐。

経歴[編集]

子君の名は、『日本書紀』の持統天皇7年(693年)3月乙巳(16日)条にだけ見える。その日に新羅への使者として息長老と大伴子君、学問僧弁通神叡が絁(あしぎぬ)、綿、布を賜った。息長老は前年11月8日にやはり新羅への使者として川内連と共に禄を賜っているが、そこに子君は見えない。何かの事情で彼らの出発が遅れ、子君が連と交代したのではないかと推測される。出発、帰国の記事はない。

脚注[編集]

  1. ^ 鈴木真年『百家系図』巻59,大伴宿禰

参考文献[編集]