堀河康胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
堀河 康胤
時代 江戸時代前期
生誕 天正20年9月9日1592年10月14日
死没 寛文13年1月27日1673年3月15日
改名 康満(初名)→康胤
官位 従二位、権中納言
主君 後陽成天皇後水尾天皇明正天皇後光明天皇後西天皇霊元天皇
氏族 水無瀬家堀河家
父母 父:水無瀬親具、母:中条持胤の娘
兄弟 康胤樋口信孝
信親則康、娘(樋口信康室)
テンプレートを表示

堀河 康胤(ほりかわ やすたね)は、江戸時代前期の公卿。左近衛中将水無瀬親具の子。堀河家の祖。

生涯[編集]

祖父の高倉永家から分かれた父の親具からさらに分かれて堀河家を起こした。慶長7年(1602年)に叙爵。侍従・左兵衛権佐・左近衛少将・左近衛中将などを歴任。寛永7年(1630年)に従三位となり、公卿に列した。その後も左衛門督・参議踏歌節会外弁を経て、寛文3年(1663年)権中納言に叙任されたが、同年に辞職して72歳で出家した。

先代:
-
堀河家
初代
次代:
堀河信親