基隆市 (日本統治時代)
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きいるんし 基隆市 | |||
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基隆港周辺(1930年代) | |||
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廃止日 | 1945年10月25日 | ||
廃止理由 |
中華民国による台湾接収 基隆市 → 基隆市(台湾省省轄市) | ||
現在の自治体 | 中華民国 台湾省基隆市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 台湾 | ||
都道府県 | 台湾 台北州 | ||
面積 | 46.7624km2. | ||
総人口 |
107,683人 (1942年) | ||
隣接自治体 | 基隆郡瑞芳街、万里庄、七堵庄 | ||
基隆市役所 | |||
所在地 | 台湾台北州基隆市日新町1丁目1番地 | ||
座標 | 北緯25度07分53.9秒 東経121度44分40.4秒 / 北緯25.131639度 東経121.744556度座標: 北緯25度07分53.9秒 東経121度44分40.4秒 / 北緯25.131639度 東経121.744556度 | ||
ウィキプロジェクト |
基隆市(きいるんし)は、日本統治時代の台湾に存在した市。台北州に属した。市域は現在の中華民国台湾省基隆市の中山区・中正区・仁愛区・信義区の全域、安楽区の大部分に相当する。
歴史
[編集]- 1924年(大正13年)12月25日 - 基隆郡基隆街が市制を施行して基隆市が発足し、市域は市制施行前と同様の20の大字(基隆・大沙湾・社寮・八斗子・深澳坑・田寮港・大水窟・石硬港・獅球嶺・蚵殼港・大武崙・大竿林・内木山・外木山・仙洞・牛稠港・基隆嶼・花瓶嶼・棉花嶼・彭佳嶼)で分けられた[1]。
- 1931年(昭和6年)10月1日 - 町名改正を実施。以下の28町と11大字に再編される[2]。
- 町:寿町・義重町・日新町・入船町・幸町・緑町・曙町・東町・田寮町・天神町・双葉町・玉田町・元町・福徳町・高砂町・旭町・明治町・宝町・西町・観音町・大正町・昭和町・滝川町・堀川町・仙洞町・真砂町・浜町・社寮町
- 大字:大水窟・八斗子・深澳坑・大武崙・大竿林・内木山・外木山・基隆嶼・花瓶嶼・棉花嶼・彭佳嶼[3][4]
歴代首長
[編集]→「基隆市長」も参照
代 | 氏名 | 写真 | 在任期間 |
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基隆市尹 | |||
1 | 佐藤得太郎 | 1924年12月23日 - 1928年9月18日 | |
2 | 加藤守道 | 1928年9月18日 - 1931年6月1日 | |
3 | 吉富保之 | 1931年6月1日 - 1932年4月21日 | |
4 | 桑原政夫 | 1932年4月21日 - 1936年10月20日 | |
5 | 川添修平 | 1936年10月20日 - 1937年9月29日 | |
6 | 矢野謙三 | 1937年9月29日 - 1939年7月1日 | |
7 | 横山竹男 | 1939年7月1日 - 1940年10月28日 | |
基隆市長 | |||
1 | 横山竹男 | 1940年10月28日 - 1942年7月23日 | |
2 | 竹中憲二 | 1942年7月23日 - 1945年7月27日 | |
3 | 丸岡道夫 | 1945年7月27日 - 1945年10月25日 |
施設
[編集]- 基隆港
- 基隆駅
- 台湾総督府立基隆病院(現:衛生福利部基隆病院)
- 台北州立基隆婦人病院
- 基隆市立港東病院(現:基隆市立病院)
- 基隆市立仁療院
- 基隆陸軍病院
- 基隆博愛病院
- 財団法人台北仁済院基隆診療所
- 基隆郵便局(現:基隆郵局)
- 波止場郵便出張所
- 浜町郵便出張所
- 岸壁出張所
- 基隆市立基隆図書館
- 台湾銀行基隆支店
- 基隆警察署(現:基隆市警察局)
- 基隆要塞
教育
[編集]中等教育
[編集]- 台北州立基隆中学校(現:国立基隆高級中学)
- 台北州立基隆高等女学校(現:国立基隆女子高級中学)
- 台北州立基隆水産学校(現:国立台湾海陽大学附属基隆海事高級中等学校)
- 基隆商業実践学校
- 私立基隆商業專修学校(現:私立光隆高級家事商業職業学校)
初等教育
[編集]小学校
[編集]- 基隆尋常高等小学校→基隆国民学校(現:基隆市立銘伝国民中学)
- 基隆第一尋常小学校→双葉尋常小学校→双葉国民学校(現:基隆市仁愛区仁愛国民小学)
- 基隆第二尋常小学校→日新尋常小学校→日新国民学校(現:基隆市中正区中正国民小学)
- 基隆第三尋常小学校→仙洞尋常小学校→仙洞国民学校(現:基隆市中山区仙洞国民小学)
- 真砂尋常小学校→真砂国民学校(現:基隆市中正区正浜国民小学)
公学校
[編集]- 基隆第一公学校→寿公学校→寿国民学校(現:基隆市仁愛区信義国民小学)
- 寿国民学校曙分教場(現:基隆市仁愛区成功国民小学)
- 基隆第二公学校→宝公学校→宝公国民学校(現:基隆市安楽区安楽国民小学)
- 基隆第三公学校→八斗子公学校→八斗子国民学校(現:基隆市中正区八斗国民小学)
- 基隆第四公学校→滝川公学校→滝川国民学校(現:基隆市仁愛区南栄国民小学)
- 昭和公学校→昭和国民学校(現:基隆市中山区中山国民小学)
観光
[編集]ギャラリー
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “日治時期臺灣市街「町」名之探討—以臺灣總督府檔案相關資料為範圍” (中国語). 國史館臺灣文獻館. 國史館 (2024年4月10日). 2024年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月31日閲覧。
- ^ 『台湾総督府府報』府令第四十三号、1931年7月21日。
- ^ 《台湾総督府行政区域便覧》
- ^ 《新旧対照管轄便覧》
- ^ “漁港重生成網紅打卡景點!回顧基隆正濱漁港的前世今生” (中国語). 報時光 (2024年4月10日). 2024年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月31日閲覧。
- ^ “臺灣建制市的市轄區變遷” (中国語). 聯邦的誕生. 2024年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月31日閲覧。