基貞親王
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基貞親王 | |
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
生誕 | 天長4年(827年)5月 |
薨去 | 貞観11年9月21日(869年10月29日) |
官位 | 三品上総太守 |
父母 | 父:淳和天皇、母:正子内親王 |
兄弟 | 恒世親王、氏子内親王、有子内親王、貞子内親王、恒貞親王、基貞親王、恒統親王、良貞親王、他 |
基貞親王(もとさだしんのう)は、淳和天皇の第三皇子。官位は三品・上総太守。
経歴
[編集]仁明朝の承和11年(844年)三品に叙せられ、承和13年(846年)上総太守に任じられる。承和15年(848年)2月に上総国で俘囚の丸子廻毛らが反乱を起こす[1]。反乱はまもなく鎮圧されるが、翌嘉祥2年(849年)病気を理由に入道を願う上表を行い、許されて出家し大乗戒を受ける。
清和朝の貞観11年(869年)9月21日に病により薨去。享年43。
容貌が清く秀でており、非常に誠実で孝行心があったという[2]。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 承和元年(834年) 11月30日:賜越前国坂井郡荒田20町
- 承和11年(844年) 正月7日:三品
- 承和13年(846年) 正月13日:上総太守
- 嘉祥2年(849年) 12月8日:出家(三品上総太守)
- 貞観11年(869年) 9月21日:薨去[3]