コンテンツにスキップ

坂井敬義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

坂井 敬義(さかい たかよし[1] / けいぎ[2]1853年3月21日(嘉永6年2月12日[1])- 1925年大正14年)7月19日[1][2][3])は、明治から大正期の地主、政治家衆議院議員富山県射水郡下村長。

経歴

[編集]

越中国射水郡下村宿[1]富山県[2]射水郡下村[3]を経て現射水市)で、本陣を務めた坂井家に生まれた[1]富山藩儒・岡田呉陽に師事し漢籍を修めた[1][2][3]

1873年(明治6年)新川県14大区副戸長に就任[1]自由民権運動に加わる[1]。1884年(明治17年)富山県会議員に選出された[1]。1899年(明治32年)1月10日から同年1月27日まで下村村長に就任[4][注 1]。同村会議員も務めた[2]

1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(富山県第3区、自由党)で当選し[1][5]、衆議院議員に1期在任[2][3]。同年8月、第6回総選挙(富山県第3区)で稲垣示と調整が不調で惨敗した[1][5]

1899年(明治32年)射水郡会議員となり[1]、同議長も務めた[2][3]。その後、射水郡教育会長、富山県教育会副会長、射水郡農会長、県農会議員、帝国農会議員などを務め[1][2][3]、地域の振興に尽力した[1]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. なお、『富山大百科事典 上巻』713-714頁では「初代村長」とされているが、これは誤りである。

出典

[編集]
  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 『富山大百科事典 上巻』713-714頁。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』286頁。
  3. 1 2 3 4 5 6 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』206頁。
  4. 『富山県町村合併誌 下巻』(1961年9月1日、富山県発行)310頁。
  5. 1 2 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』100頁。

参考文献

[編集]
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『富山大百科事典 上巻』北日本新聞社、1994年。