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呉 祺(ご き、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の政治家。揚州呉郡呉県の人。
伯母の呉夫人は孫堅の妻で、孫策・孫権らの母。父の呉景は孫堅の時代から武将として活躍した。
呉祺は、孫権より訴訟の取り捌きを任され、張温や顧譚と仲が良かった。
赤烏13年(250年)頃[1]、二宮事件で孫覇に与した甥の呉安[2]が粛清されると、呉祺が呉氏の後継ぎとなり、都亭侯に封じられた。呉祺の死後は子の呉纂が後を継いだ。
- ^ 赤烏13年に孫覇が自殺を命じられ(『三国志』呉書 呉主伝)、その後で呉安らが誅殺されている(同孫覇伝)。
- ^ 兄の呉奮の子。