名島弘三

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名島 弘三大正6年(1917年8月9日 - 没年不明)は日本実業家。名島(名)代表社員、全国肥料商連合会鳥取県部会支部長、日本肥料商業協同組合中国ブロック理事米子商工会議所建設業部会常任委員[1]。元中国興業銀行頭取名島嘉吉郎の甥。

経歴・人物[編集]

名島善の長男[2]早大商科卒[1]日産化学工業入社[1]。木津川工場勤務、課長補佐[1]。昭和30年(1955年)、帰郷して家業を継承[1]

趣味音楽、写真[1]宗教浄土宗[1]。住所は鳥取県米子市明治町[1]

家族・親族[編集]

名島家[編集]

鳥取県米子市博労町、米子市明治町
名嶋嘉吉郎商店(名和川屋)
(『帝國實業名鑑』より)

史料[編集]

大正5年(1916年)刊の『陰陽八郡一覧』によって、国税二十円以上の納税者をみると、 米子駅前通りと考えられる成実村では、

内田秀蔵[3](「米吾」、物品販売、二十八円二十銭)
石田運送合名(運送・請負、五十一円三十銭)
柏木正一(旅館、二十三円八十銭)
名島合名(物品販売、五十九円三十銭)
赤沢康平[4]請負、五百十四円六十銭)となっている。[5]

関連[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年 ナ…196頁
  2. ^ 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録』(昭和12年)鳥取・六頁
  3. ^ 米吾代表取締役内田保秀の父。
  4. ^ 元自治大臣赤沢正道の父。
  5. ^ 『米子商業史』499-500頁