古筝

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現代の筝

古筝(こそう、グーチェン、あるいは単に[1]拼音: gǔzhēng)は中国の伝統的なツィター属撥弦楽器である。弦の本数は地方によって異なるが、現代では21本のものが代表的である。弦の材質には金属弦・絹糸の弦・金属芯のナイロン弦などがある。右手の指にはめた義爪で弦をはじいて演奏する。

構造[編集]

筝の各弦の下には雁柱(琴柱)があり、これを左右に動かすことで音高を調節する。演奏者から遠い方が音が低く、五音音階をなすように調弦される。現代で一般的な21弦の筝でニ長調の場合は、下から D E F A B d e f a b d1 e1 f1 a1 b1 d2 e2 f2 a2 b2 d3 の4オクターブとなる。これ以外の音を出すときには左手で雁柱の左側を押さえることで音高を一時的に変化させる。

通常は右手の親指・人差し指・中指の3つに義甲をはめて弾く。柔らかい音を出すために義甲をつけない薬指や左手の指で弾くこともあり、主に中・低音部に使われる[2]

左指の使い方には「按」(弦をおさえて音を高くする)、「顫」(ビブラートをかける)、「推」(ポルタメント)などがある。

起源[編集]

春秋戦国時代には琴(古琴)・瑟・筑などの撥弦楽器が存在した。このうち瑟は雁柱(琴柱)を持ち、筝に似る。

筝は春秋戦国時代のに起源を持ち[3]、そのため「秦筝」とも呼ばれた[4]李斯による紀元前237年の上書のなかに秦の音楽の特徴として「弾箏」が見える[5]

筝の起源については秦の将軍である蒙恬が造ったという伝説がよく知られる[6]

筝という名称については、鳴らした時の「箏箏」という音に由来するという[7]代以降の伝説として、25弦の瑟を兄弟(文献によっては姉妹または親子)で争い、2つに分けたのを筝の起源とする伝説もあるが[8][9]、これは「筝」という名称を説明するために作られた説話であろう。

インドや西アジア、メソポタミアから伝播したものが中国風に改良されたとする説もある[要出典]

伝播[編集]

筝は中国国内の非常に広い範囲に分布し、河南省山東省浙江省広東省内モンゴルなどのそれぞれに独自の筝が存在する[2]

他の文化とともに周辺の国々へと伝播し、日本モンゴルヤトガベトナムダン・チャイン朝鮮伽耶琴などの祖型となった。日本には、8世紀に雅楽とともに伝わった。

楽器の改変[編集]

16本の金属弦をもつ筝
蝶式筝

中国の筝は年代を経るごとに改変が加えられてきた。では12弦だったが、では13弦が主流になり、ではさらに15・16弦に増えた[3]。近代では18、21、25弦のものが演奏されるようになった。それ以上の本数の弦を持つ筝も作られたことがある。

筝は移調が難しい楽器であるため、その欠点を克服するために上海音楽学院の何宝泉によって蝶式筝という筝が発明された。この筝は左右対称に49弦を持ち、4オクターブのすべての半音を出すことができる。左半分は通常の21弦の筝とほぼ同じ形をしている。

弦の種類も、もとは絹の弦を使用していたが金属弦を使用するようになった。楽器の形も運搬の利便などの理由から大胆な小型化がはかられている。中国においてダイナミックな楽器の改変が行われた結果、古い時代に周辺諸国へ伝播し継承された楽器のほうが、古いかたちを残している場合がある[10]

代表的な演奏家[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ 簡体字
  2. ^ a b 胡登跳 『民族管弦乐法上海文艺出版社1982年、150-160頁。
  3. ^ a b 中国音乐词典』 人民音乐出版社、1985年、501頁。
  4. ^ 潘岳「笙賦」(『文選』巻18)「晋野悚而投琴、況斉瑟与秦箏」
  5. ^ 史記』李斯列伝「夫擊甕・叩缻・弾箏・搏髀、而歌呼嗚嗚、快耳目者、真秦之声也。」
  6. ^ 風俗通義』声音・箏「謹按『礼楽記』「箏、五弦筑身也。」今二州箏形如瑟。不知誰所改作也。或日秦蒙恬所造。」
  7. ^ 釈名』釈楽器「箏、施弦高急、箏箏然也。」
  8. ^ 集韻』下平十三耕・箏「一説秦人薄義、父子争瑟而分之、因以為名。」
  9. ^ 岡昌名(1727)『新撰楽道類集大全』第2巻・楽器製造集上・箏「或記云:秦女争瑟引破、終為両片。其一片有十三弦、為姉分。其一片有十二弦、為妹分。秦皇奇之、立号為箏。或云:秦有綩無義者、以一瑟伝二女。二女争引破、終為二器。故号箏。」
  10. ^ 小泉文夫 『小泉文夫 民族音楽の世界』 柘植元一、日本放送出版協会。ISBN 9784140084458