加藤泰明
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名前 | ||||||
カタカナ | カトウ ヤスアキ | |||||
ラテン文字 | KATO Yasuaki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1976年4月10日(48歳) | |||||
出身地 | 静岡県 | |||||
身長 | 180cm[1] | |||||
体重 | 68kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1992-1994 | 清水商業高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1997 | 名古屋グランパスエイト | 6 | (0) | |||
通算 | 6 | (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
加藤 泰明(かとう やすあき、1976年4月10日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。
来歴
[編集]清水商業高校では1学年上に川口能活、田中誠、同期に安永聡太郎、佐藤由紀彦、朝比奈伸、1学年下に松原忠明、藤元大輔らがいる[2][3]。右サイドバックを務め、2年時には夏の全日本ユース、冬の高校選手権の二冠[2][4]。3年時には夏の高校総体、全日本ユースの二冠を達成したが、冬の高校選手権では2回戦敗退[2][3]。
卒業後の1995年に日本プロサッカーリーグの名古屋グランパスエイトに加入。加入早々からアーセン・ベンゲル監督の下で大岩剛らと左サイドバックのレギュラーを争い[5]、出場機会を得ると、同年3月22日に行われたサントリーシリーズ第2節のセレッソ大阪戦でデビュー[6]。1997年まで3シーズンプレーし、リーグ戦6試合、カップ戦3試合に出場した[1]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1995 | 名古屋 | - | J | 5 | 0 | - | 0 | 0 | 5 | 0 | |
1996 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | |||
1997 | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
通算 | 日本 | J | 6 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | |
総通算 | 6 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 |
国際試合
- 1996 アジアカップウィナーズカップ 5試合0得点
脚注
[編集]- ^ a b c “加藤 泰明”. J.League Data Site. 2020年12月6日閲覧。
- ^ a b c 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 編『高校サッカー100年』講談社、2019年、208-211・272-273頁頁。ISBN 978-4-06-220356-2。
- ^ a b 『王国が紡ぐ「黄金の歴史」静岡の高校サッカー』ベースボール・マガジン社、2008年、82頁。ISBN 978-4-583-61581-3。
- ^ “【川口能活クロニクル】清商時代のベストゲームは城彰二を擁する鹿実とのあの名勝負”. サッカーダイジェストWeb (2017年1月4日). 2020年12月6日閲覧。
- ^ 飯尾篤史 (2018年2月14日). “大岩剛をコンバート。ベンゲルが魔法をかけて”. スポルティーバWeb. 2020年12月6日閲覧。
- ^ “’95Jリーグサントリーシリーズ 第2節第1日”. J.League Data Site. 2020年12月6日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 加藤泰明 - WorldFootball.net
- 加藤泰明 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 加藤泰明 - J.League Data Siteによる選手データ