分子エレクトロニクス

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分子エレクトロニクス(ぶんしエレクトロニクス)とは分子を使用するエレクトロニクス

分子の英訳(molecule)から「モレキュラーエレクトロニクス(molecular electronics)」、あるいはこれを略した「モレクトロニクス(molectronics)[1]」とも呼ばれるが、この場合時期によって異なる意味合いのものを指す場合がある。

概要[編集]

前史[編集]

分子の性質そのものをエレクトロニクスに利用しようという概念は、イギリス王立レーダー研究所英語版ジョフリー・ダマー英語版1952年に提唱したものが最初であると言われる[2]。ただこのときダマーが提唱したのは、実際には後の集積回路(IC)につながるアイデアであり、必ずしも分子そのものの性質を利用するものではなかったともされる。当初この提言はあまり重視されなかったが、1957年ソビエト連邦スプートニク1号の打ち上げに成功したことによる、いわゆるスプートニク・ショックにおいて、電子機器の小型化につながる手法の一つとしてこの提言が注目を浴び、ウエスチングハウスが「モレキュラーエレクトロニクス」としてアメリカ空軍と大々的な共同研究を行うことになり、200万ドルの研究費が投じられた[3]。ただこの研究は全く成果を上げることなく終わる。

これに対し、当時ICの開発で先んじていたジャック・キルビーを抱えるテキサス・インスツルメンツ(TI)がこの状況を利用し、アメリカ空軍に「研究予算を回してもらえれば、自社のICに『モレキュラーエレクトロニクス』の名前を使っても良い」という話を持ちかけた。空軍もTIの提案により「研究成果ゼロ」という最悪の事態を避けられ、自らのメンツを守ることができるとしてこの話に乗ったため、ミニットマンミサイル等に搭載されたTI製のICに「モレキュラーエレクトロニクス」の名前が使われた[4]。このため古い文献に現れる「モレキュラーエレクトロニクス」の中には、この当時製造された初期のIC群を示す場合がある。

日本でも、当時ウエスチングハウスと提携関係にあった三菱電機が「モレクトロン」の名称でICを開発、1961年2月に製品化を発表するが、これも「モレキュラーエレクトロニクス」とは名ばかりで、初期には集積回路ですら無い製品(シリコン基板の中にゲルマニウムトランジスタを職人が手作業で埋め込んでいた)を販売していた[5]。三菱では一応「モレキュラーエレクトロニクス」の研究は継続したものの、本家であるウエスチングハウスが1969年に研究開発を中止してしまったため、1970年に「モレクトロン」の名称の使用を止めている[5]

現在[編集]

現代につながる分子エレクトロニクスの概念は1970年代には既に提唱されていた[6]

これまでの半導体産業では、いわゆる”トップダウン(top down)”方式により、シリコンを主体として微細化が進められてきたが、近年、微細化は極限領域に到達しつつあり、従来の延長線上でのトップダウン方式では完全に同じものを歩留まり高く作製することは難しいのが現状で、ある程度素子間にばらつきがあることはやむを得ないが、”ボトムアップ(bottom up)”方式では、物質の最小単位である原子や、構造が定義されている分子からエレクトロニクスを構成するという概念で、完全に同一なデバイスの製造を企図する[7]。有機分子材料は、無機材料と比較すると、軽量性、可撓性・柔軟性、材料種の多様性の点で優れ、分子が自己組織化的に配列するという性質や、スピンコート法、印刷法などを用いた非常に簡単な成膜プロセスが可能という特徴を有する[7][8]。個々の分子は既に化学構造、分子軌道によって決まる機能単位であることから、分子の機能を自由にデザインし、その単一分子からなるデバイスを作製しようという分子エレクトロニクスヘの展開は究極的な超微細デバイス実現への挑戦として大きく期待されている[7]。電子素子の構成要素としての観点から有機分子を見た場合、大きさと構造がナノスケールで厳密に定義された部品であるというだけではなく、これまでのバンド構造を基本とした電子素子の枠組みを超える、魅力的な機能を備えている[9]。単一あるいは少数の分子で構成された系では、バリスティック伝導(Ballistic conduction)、離散的な分子軌道が関与した共鳴トンネリング(Resonant tunneling)、電子強相関(Electron correlation)などが重要となる。これらの過程に振動・電子励起、分子運動・コンホメーション変化、酸化・還元などが結合して、多彩な量子的伝導物性が期待できる[9]

課題[編集]

単一分子への電気接続や分子レベルでの素子機能の動作確認など、技術的に克服すべき課題が多く残されている[7]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ モレクトロニクス - コトバンク
  2. ^ 電子立国日本の自叙伝』中巻(相田洋著、日本放送出版協会1991年)p.333
  3. ^ 『電子立国日本の自叙伝』中巻・pp.327 - 335
  4. ^ 『電子立国日本の自叙伝』中巻・pp.337 - 339
  5. ^ a b 『電子立国日本の自叙伝』下巻・pp.78 - 94
  6. ^ 相澤益男. "分子エレクトロニクスデバイス." テレビジョン学会誌 42.12 (1988): 1327-1335.
  7. ^ a b c d 分子エレクトロニクス”. 2016年10月8日閲覧。
  8. ^ 分子エレクトロニクス - なぜ分子エレクトロニクスか?”. 2016年11月2日閲覧。
  9. ^ a b 分子エレクトロニクス (PDF)”. 2016年10月8日閲覧。

参考文献[編集]

  • 分子エレクトロニクスの話 齋藤軍治 ケイ・ディー・ネオブック, 2008年 ISBN 9784759803440
  • 分子エレクトロニクスの基礎 森健彦 化学同人 2013年9月25日 ISBN 9784759814149
  • 分子エレクトロニクスの基盤技術と将来展望(2009年2月、田中一義、和田恭雄(監修)、シーエムシー出版
  • 分子ナノテクノロジー―分子の能力をデバイス開発に活かす(2002年6月、田中 一義、化学同人
  • M.A.リード; J.M.ツアー (2000年10月号). “熱を帯びる分子コンピューター開発”. 日経エレクトロニクス (東京: 日経エレクトロニクス). http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0010/mol.html. 
  • Mark A. Reed; James M. Tour (2000年6月号). “Computing with Molecules”. サイエンティフィック・アメリカン. 
  • 小川琢治. "分子デバイスの現状と展望--化学から 分子エレクトロニクスはどこまで進んだか." 化学 55.9 (2000): 19-24.
  • 小川琢治, et al. "分子エレクトロニクスのための有機分子/無機ナノ構造体の固体表面上での自己組織化." 高分子学会予稿集 第 56 回高分子討論会. 公益社団法人 高分子学会, 2007.
  • 染谷隆夫. "CS-9-5 印刷法による有機トランジスタと大面積エレクトロニクス (CS-9. 有機エレクトロニクス・分子エレクトロニクスの新展開, シンポジウム)." 電子情報通信学会総合大会講演論文集 2007.2 (2007).
  • 安蘇芳雄. "1. 分子エレクトロニクス材料としての π 共役機能分子." Electrochemistry 81.4 (2013): 273-276.
  • 寺尾潤, et al. "ビルドアップ型分子エレクトロニクス素子の合成." 高分子学会予稿集 第 59 回高分子討論会. 公益社団法人 高分子学会, 2010.
  • 橋本秀樹, and 柳和宏. "自然が創造した分子エレクトロニクス素子-光合成系の分子構築と機能." 電気化学および工業物理化学: denki kagaku 71.11 (2003): 960-965.