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信田ノ丸城

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信田ノ丸城
山口県
城郭構造 山城
築城主 杉重良
築城年 1570年元亀元年)
主な城主 杉重良
廃城年 不明
遺構 曲輪、堀切、出丸
指定文化財 宇部市指定史跡[1][2]
位置 北緯34度07分14.9秒 東経131度14分22.9秒 / 北緯34.120806度 東経131.239694度 / 34.120806; 131.239694北緯34度07分14.9秒 東経131度14分22.9秒 / 北緯34.120806度 東経131.239694度 / 34.120806; 131.239694座標: 北緯34度07分14.9秒 東経131度14分22.9秒 / 北緯34.120806度 東経131.239694度 / 34.120806; 131.239694
地図
:信田ノ丸城の位置(山口県内)
:信田ノ丸城
:信田ノ丸城
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信田ノ丸城(しだのまるじょう)は、山口県宇部市奥万倉(おくまぐら)城南にあった戦国時代日本の城山城)。宇部市指定史跡

概要

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標高341メートルの山上に位置する。山頂には1908年明治41年)に建てられた城跡碑がある。大内氏に仕えた武将豊前松山城主となった杉重良が、1570年元亀元年)ごろ居城としていたとされ、曲輪堀切などの遺構が残る[1][2]

1994年(平成6年)4月1日に宇部市指定史跡に指定された[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c 「信田ノ丸城跡」宇部市公式HP
  2. ^ a b c 「信田ノ丸城跡」宇部市公式HP(宇部市デジタルミュージアム)]

関連項目

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外部リンク

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