余棨昌

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余棨昌
Who's Who in China 3rd ed. (1925)
プロフィール
出生: 1881年(光緒7年)[1]
死去: 不詳
出身地: 浙江省紹興府紹興県
職業: 法学者・裁判官
各種表記
繁体字 余棨昌
簡体字 余棨昌
拼音 Yú Qǐchāng
ラテン字 Yu Ch'ih-ch'ang
和名表記: よ けいしょう
発音転記: ユー チーチャン
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余 棨昌 (よ けいしょう)は中華民国の裁判官・法学者。北京政府時代の大理院院長(最高裁判所長官)である。戟門

事績[編集]

1911年宣統3年)、日本の帝国大学[2]を卒業し、法学士の学位を取得した。帰国後、戸部主事に任じられている。

中華民国成立後、法制局参事、司法官懲戒委員会委員、司法官訓練処処長兼法典編纂委員会顧問、大理院庭長兼推事、司法講習所所長、修定法律館顧問を歴任した。1923年民国12年)2月、大理院院長兼司法懲戒委員長に就任している。1928年(民国17年)、修定法律館総裁に異動した。北京政府崩壊後は、国立北平大学法学院教授などをつとめた。著書には、『民法親属編』、『実用司法令輯要』などがある。

余棨昌の没年は不明である。

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  1. ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』702頁による。Who's Who in China 3rd ed.,p.940は1882年とする。
  2. ^ 具体的にどこの大学かは不明。

参考文献[編集]

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
董康
大理院長
1923年2月 - 1928年2月
次代
姚震