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井手三千男

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井手 三千男(いで みちお、1941年5月9日[1] - 2006年6月26日)は、日本写真家

生涯

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広島市安佐北区安佐町出身[2]。多摩芸術学園(現 多摩美術大学)写真科卒業[2]

4歳の夏(1945年8月6日)、自宅から広島市に投下された原子爆弾キノコ雲を見る。多摩美大卒業後、広島市で広告会社に勤務していたが、1968年写真家として独立[2]

広島市や原爆資料館が刊行した出版物の編集の大半に関わり、被爆の記憶を印画紙に残した。『図説戦後広島市史』ではB-29が原爆投下直後にキノコ雲を撮影した6,000m上空からの撮影に挑んだ。また、広島県の文化財の出版にも携わり、多くの文化財を空撮などの様々な手法で撮影した。原爆ドーム厳島神社世界遺産登録時には公式写真も撮影している[2]。1998年から原爆資料館の資料調査研究会の委員を務めた[2]

写真家としての活動のかたわら、建築、民俗、環境問題などにも造詣が深く、多方面にわたりアドバイザーとして活躍した。

2006年6月26日、肺癌のため、65歳で死去。

脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.63
  2. ^ a b c d e フィルムに刻む被爆建物 写真家井手さん 没後10年 回顧展 色あせぬ情熱感じて”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社. 2024年3月10日閲覧。