中部幾次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
なかべいくじろう
中部幾次郎
Akashi Park Nakabe Ikujiro.jpg
中部幾次郎像(明石公園
生誕 1866年2月18日(旧暦慶応2年1月4日)
播磨国明石郡林村
死没 1946年5月19日(1946-05-19)(80歳)
職業 実業家政治家
子供 中部兼市中部謙吉中部利三郎
中部兼松

中部 幾次郎(なかべ いくじろう 1866年2月18日旧暦慶応2年1月4日) - 1946年昭和21年)5月19日)は、明治から昭和初期(1900年代後半~1940年代前半)の実業家。林兼商店(後の大洋漁業、現在のマルハニチロの前身の一つ)創業者。貴族院勅選議員

来歴・人物[編集]

鮮魚の運搬・卸を生業とする父の兼松の次男として播磨国明石郡林村(現・兵庫県明石市林)に生まれる。

1904年(明治37年)に明石から山口県下関へ移り、日本初の発動機船を開発し、東シナ海朝鮮半島沖の漁場開拓を行う。1924年大正13年)に大洋漁業の前身となる林兼商店を創立。

漁業のほか、水産物加工、海運、造船などの経営に進出し、一大企業グループを作り上げた。1930年(昭和5年)から1943年(昭和18年)まで下関商工会議所会頭。1946年(昭和21年)3月22日に貴族院勅選議員となる[1]

戦後の食糧難を解決するためにと、早急に捕鯨を再開することをGHQに進言。捕鯨許可は出たが船団の出航を見ることなく死去した。

幾徳学園は彼の名前に由来する。

家族・親族[編集]

長男は大洋漁業2代目社長の中部兼市、次男は大洋漁業3代目社長の中部謙吉、三男は大洋漁業副社長および林兼産業会長の中部利三郎。孫は大洋漁業副社長で大洋球団3代目オーナーの中部新次郎(兼市の三男)、大洋商船社長から幾徳学園理事長となった中部謙次郎(謙吉の長男)、5代目社長の中部藤次郎(謙吉の次男)、6代目社長で横浜球団4代目オーナーの中部慶次郎(謙吉の三男)、マルハニチロ副社長の中部謙(謙吉の四男)、林兼産業会長を務めた中部一次郎(利三郎の長男)、アマチュアゴルファーの中部銀次郎(利三郎の三男)。曾孫は幾徳学園理事長の中部謙一郎(謙次郎の長男)、大東通商社長の中部由郎(慶次郎の長男)。娘婿は大洋漁業副社長を務めた中部悦良と同じく大洋漁業副社長と大東魚類社長を務めた中部義吉。

兼市の次男・文次郎の長女・ふじ子はキッコーマンの創業一族・高梨家に嫁ぎ、文次郎の次男・達郎は興和の創業家である三輪家から夫人を迎え、兼市の三女・とくは貴族院議員を務めた白根竹介の息子・白根勝臣に嫁いだ。新次郎の次男・恒雄は第一銀行頭取で渋沢栄一の娘婿(阪谷芳郎大川平三郎らと義兄弟)・明石照男の孫娘を妻に迎え、新次郎の長女・明子は日の丸自動車興業の創業家・富田家に嫁いだ。兼市の四男・長次郎は男子のいなかった叔父・悦良の養子となり、長崎放送の会長を務めた。兼市の五男・雷次郎は新東西社長や大洋漁業の常任監査役のほか、日本冷蔵倉庫協会副会長を務めており、妻は三菱重工業社長を務めた玉井喬介の娘である。謙吉の長女・夏子(謙次郎たちの姉)は従兄弟で東大教授の児島喜久雄(妻は藤村義朗の孫娘)の長男・児島光雄に嫁ぎ、光雄の妹は元首相・宮澤喜一の弟・宮澤泰と結婚している(喜一の孫娘はタレントの宮澤エマ)。謙次郎の妻・富美子は京都の清酒メーカー月桂冠及び大倉電気の創業家である大倉家の出身で、慶次郎の妻・由美子はヒゲの軍人・長岡外史の孫である(外史の長女は朝吹家に嫁いでいる)。謙吉の義弟(前妻の弟)で大洋漁業取締役を務めた木梨信彦の娘(謙次郎たちの従兄弟)は運輸大臣を務めた江藤智の長男に嫁いだ。

利三郎の妻は広島市長を務めた藤田若水の四女で、長女・とみ子はピアニスト柳川守に嫁ぎ、利三郎の長男・一次郎の妻はヤマサ醤油の創業家である濱口家の出身である(一次郎の義母は片倉工業の創業家出身)。また銀次郎の妻・克子は尾道造船社長の浜根康夫の娘である。義吉の次女・いと子は島根県知事を務めた恒松制治の弟・恒松洋平に嫁ぎ、三女・柳子は近江膳所藩主家の本多猶一郎の息子・本多康張に嫁ぎ、猶一郎の義兄が西園寺公望の秘書を務めた原田熊雄である(猶一郎・原田の妻はともに中部家のおひざ元である岩国藩主吉川家の出)。原田の娘婿は日本債券信用銀行頭取・会長を務めた勝田龍夫で、勝田の父は大蔵大臣を務めた勝田主計である。勝田の妹は通産事務次官から東芝社長に天下りした玉置敬三に嫁いでおり、原田の娘婿である勝田と玉置は義兄弟である。義吉の次男・鉄次郎の妻は尾張徳川家分家当主で昭和天皇の侍従長だった徳川義寛の長女(常陸宮正仁親王の妃である正仁親王妃華子と従兄弟)で、徳川の弟・津軽義孝は津軽家に養子入りし、義孝の娘は凸版印刷の副社長を務めた山田英夫に嫁いだ(山田の娘はダイエー創業者・中内功の次男でダイエー球団2代目オーナーの中内正に嫁いだ)。鉄次郎の妻を徳川家から迎えたことにより、中部家は津軽家などを通して天皇家の縁戚となった。

これ以外にも武田長兵衛武田國男鈴木三郎助鈴木恭二山崎種二小林富次郎明石康松下幸之助石橋正二郎池田勇人田中角栄太田誠一櫻内義雄福田赳夫福田康夫小川平吉岸田文雄吉國一郎久原房之助石井光次郎黒田善太郎北野隆春上野十蔵永山治中曽根康弘伊藤次郎左衛門下条進一郎鹿島守之助河野洋平石橋湛山足立正久邇邦昭仙石政敬梅溪通虎正力松太郎正力亨植村甲午郎正田英三郎安西正夫岸信介佐藤栄作安倍晋太郎安倍晋三小和田恆江頭豊川嶋辰彦岩崎弥太郎松方正義木内重四郎山下亀三郎岡崎忠豊田章一郎豊田達郎清水満昭竹下登小沢一郎などと縁戚関係にある。

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第5757号、昭和21年3月26日。
  2. ^ 『官報』第4349号「彙報 - 褒章」1941年7月8日。

参考文献[編集]

  • 岡本信男『嵐に向って錨を巻け 大洋漁業の源流を辿る』水産社、1986年。
  • 大森映『日本の財界と閨閥』学藝書房、1988年。
  • 佐藤朝泰『日本のロイヤルファミリー』立風書房、1990年。
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。

関連する人物[編集]

  • 藤本万次郎:幾次郎が下関水産振興会会長時代の下関仲買組合組合長。

関連項目[編集]

  • 林兼産業:中部一族を主要株主とする食料品等の製造販売事業を行なう上場会社。
  • 日本鯨類研究所:1941年(昭和16年)に中部幾次郎が設立した中部科学研究所が母体。
  • 神奈川工科大学:幾次郎の次男・謙吉が大洋漁業社長時代に創立した幾徳工業高等専門学校が母体。