中村陸平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 陸平(なかむら りくへい、1874年明治7年〉8月9日[1] - 1936年昭和11年[2]6月21日[3])は、明治時代後期から昭和時代戦前の政治家醸造家静岡県浜名郡天神町村長、浜松市長。

経歴[編集]

静岡県敷知郡向宿村(天神町村、浜名郡天神町村、浜松市天神町、浜松市中区天神町を経て、現浜松市中央区天神町)に生まれる。中村五郎七の長男[1][4][注 1]。家業は酒造業で、祖父の五郎七は天神町報徳社を設立した人物[2]。祖父の薫陶を受け、1904年(明治37年)天神町報徳社の社長に就いた[2]。その後も、昭和に入ってから全国報徳社の中核である大日本報徳社監事、同理事を経て、同盟社長となった[2]

地方政界でも活躍し、1899年(明治32年)浜名郡会議員を経て、1915年(大正4年)から1921年(大正10年)まで天神町村長、浜松市に合併後、1922年(大正11年)から1928年(昭和3年)まで浜松市会議員を歴任した[2]。同年、浜松市長に選ばれ、1932年(昭和7年)まで在任[2]。上水道敷設事業や都市計画事業に尽力した[2]。ほか、浜松委托取締役、静岡県酒造組合長[1]、浜松商業銀行、西遠酒造研究所各取締役などを務めた[4]

親族[編集]

  • 長男 中村達一郎(実業家[2]
  • 孫 中村雄次(天神町報徳社社長、浜松市文化協会理事長)[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『静岡県歴史人物事典』343頁には父は逸郎とあり、14歳の時に死別したとある。

出典[編集]

  1. ^ a b c 人事興信所 1915, な34頁.
  2. ^ a b c d e f g h i 静岡新聞社出版局 1991, 343頁.
  3. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、231頁。
  4. ^ a b 人事興信所 1928, ナ106頁.

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 
  • 静岡新聞社出版局 編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。ISBN 4783804249