中村藤吉 (1884年生の実業家)
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中村 藤吉(なかむら とうきち、前名・茂一郎[1][2]、1884年(明治17年)5月2日[3] - 没年不明)は、日本の商人(金物商)[2]、実業家、鳥取県多額納税者[4]。
経歴
[編集]鳥取県・中村藤吉の長男[1]。前名茂一郎を改め襲名する[2]。金物商を営み、中村商店社長、米子銀行監査役などをつとめる[2]。
人物
[編集]貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[3]。宗教は日蓮宗[2]。趣味は釣り[2]。住所は鳥取県米子市西町[2]。営業所は米子市内町[2]。
家族・親族
[編集]- 中村家
- 父・藤吉(1864年 - ?、鳥取平民[1][5]、金物商[6]、中村藤吉商店[注 1]、米子銀行監査役[1][5][6]、前名・定次郎[6]、地主[注 2]) - 1909年、家督を相続する[6]。1926年、退隠する[6]。住所は米子、内町[6]、西町[10]。
- 母・たきの(1879年 - ?、鳥取、石賀善五郎の妹)[5]
- 弟・常一[5](1892年 - ?、中村藤吉商店取締役[10])
- 妻・くみよ(1895年 - ?、鳥取、青木定次郎の二女)[1]
- 長男・彦一[2][6](1918年 - ?、中村藤吉商店代表取締役)
- 二男[2]
- 三男[2]
- 長女(養子貞良の妻)[2]
- 養子・貞良[2](中村藤吉商店取締役[10])
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 『人事興信録 第7版』な47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』鳥取6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月7日閲覧。
- ^ a b 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』鳥取県98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月7日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』58頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』な37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第8版』ナ94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
- ^ 『国民日用便覧 明治44年刊』に63頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月6日閲覧。
- ^ 『国民日用便覧 明治43年刊』西伯郡之部4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月12日閲覧。
- ^ 『米子経済九十年の歩み』77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月12日閲覧。
- ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 第43回』鳥取県 下編393頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 多納佐三郎編『国民日用便覧 明治43年刊』報光社、1910年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第43回』商業興信所、1935年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 米子商工会議所編『米子経済九十年の歩み』米子商工会議所、1981年。