上巳節会
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上巳節会(じょうしのせちえ)とは、古代日本において3月3日に開かれた節会(宴会。節宴。)であり、天皇が饌を配した。
概要
[編集]上巳の本来の定義は3月最初の巳の日のことであり、中国において魏の時代に3月3日に固定化された事から、室町時代には「3月3日の儀式」として定着した。
中国ではこの日に祓や禊を行う風習があり、日本でも雑令によってこの日に節会を開くこととして大宝元年(701年)より公式に採用され、内裏において曲水の宴が行われた。平城天皇の時代に父・桓武天皇の国忌と近いという理由で廃止されたが、弟の嵯峨天皇は節会としてではなく、公的な色を薄めた儀式として再興した。また、曲水の宴は貴族の娯楽としても行われ、藤原道長も私邸で開いたことが『御堂関白記』に記されている。また、民間においては、日本に古来よりあった贖物(あがもの)と呼ばれる人形(ひとがた)に自分の身体をこすり付けて穢を移し、川などの水辺に流すことで祓を行うという阿末加津/天児(あまかつ)・這子(ほうこ)と呼ばれる風習と結びつき、これが後世の流し雛(雛人形)に発展したと言われている。
参考文献
[編集]- 山中裕「上巳」(『国史大辞典 7』吉川弘文館、1986年 ISBN 978-4-642-00507-4)
- 竹居明男「上巳の節」(『日本古代史大辞典』大和書房、2006年 ISBN 4-479-84065-6)