上伊那地域

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赤い部分が上伊那地域。

上伊那地域(かみいなちいき)は、長野県南信地方伊那市を中心とした地域のことを指す名称で、県を10地域に分けるときに用いられる。上伊那地方と呼ばれることもある。

上伊那広域連合の範囲に一致する。人口は193,209人(2005年8月1日現在)。

該当市町村[編集]

以下は長野県の定義である。

方言[編集]

概要[編集]

上伊那の方言は太田切川によって大きく2つに分けられる。伊那谷の竜西側の河川は「暴れ川」と言われており、中でも太田切川は、古来から伊那谷を南北に分断してきた[1]。水難事故が多かったので、「人取り川」とも呼れていたという[2]。また、太田切川は昔から政治上の境界で、大体太田切川以南は関西方面の領主、以北は関東方面の領主の領土であった場合が多かった。そのため、言語、風習等も太田切川を境として長い間に次第に変って来たのだという[3]

比較表1[1][編集]

太田切川以北(宮田) 太田切川以南(駒ヶ根市赤穂)
正座 おすわり おかしま
お手玉 おてんこ おたま
どぶ いけ
小石 (言葉なし) いしなご
土間 とおり にわ

太田切川以南の地域は上伊那に属しながら、伊那方言より下伊那飯田方言と共通点が多い。

飯田方言と伊那方言[4]
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10
20
30
40
50
60
70
80
90
100
飯田
飯島
赤穂[5]
宮田
伊那
  •   飯田方言
  •   伊那方言

方言の位置[編集]

上伊那の方言は、東西方言の接触地域である。北部では東日本方言的特徴が比較的強いが、南に行くにつれ東日本方言の特徴が薄れ、西日本方言的になって行く。特に、前述の太田切川を境として大きく変わっているという[6]太田切川が東西方言の境界線であると主張する学者もおり、畑美義氏や福沢武一氏などが挙げられる。特に後者は語彙、語法のほかに語感も重視している[7]

比較表2[編集]

上伊那郡下各地の方言比較表[8][9][10][4]
太田切川以北 太田切川以南
辰野 伊那 駒ヶ根 中川
居る いる おる
している してる しとる
否定 …ねえ …ねえ、
…ん
…ん
しない しねえ しねえ、
しん
しん、
せん
せん
命令 …ろ …ろ、
…よ
しろ しろ しろ、
せろ
せろ、
しょー
そうですね そうだのー そうだなえ そうだなむ

管内の特別地方公共団体[編集]

広域連合[編集]

一部事務組合[編集]

  • 伊那中央行政組合 - 伊那市、箕輪町、南箕輪村で構成。伊那中央病院や、し尿処理施設等の運営を共同で行う。
  • 伊南行政組合 - 駒ヶ根市、飯島町、中川村、宮田村で構成。火葬場や昭和伊南総合病院、し尿処理施設等の運営を共同で行う。

脚注[編集]

  1. ^ a b 駒ヶ根市誌編纂委員会(2007年)『駒ヶ根市誌 自然編2』
  2. ^ 小木曽伸一(2017年)東西文化を分ける太田切川
  3. ^ 畑美義(1975年)『上伊那方言集』
  4. ^ a b 飯島町誌編纂刊行委員会 (1993年) 『飯島町誌 下巻 現代 民俗編』
  5. ^ 駒ヶ根市 の中心部
  6. ^ 南箕輪村誌編纂委員会(1984年)『南箕輪村誌 上巻』南箕輪村誌刊行委員会
  7. ^ 福沢武一(1954年)『長野県上伊那郡における東西方言の境界線』
  8. ^ 馬瀬良雄『信州の方言』
  9. ^ 『上伊那郡誌 民俗編 下』
  10. ^ 『長野県史 方言編』