三仏斉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三仏斉(さんぶっせい)とは、10世紀初めから15世紀初めまで漢文史料に登場する東南アジアの交易国家。

概要[編集]

三仏斉は、かつて室利仏逝(シュリーヴィジャヤ王国)と同一視されてきたが、同時に複数の三仏斉国が中国王朝朝貢したという記録があり、三仏斉注輦(チョーラ)国、三仏斉詹卑(ジャンビ)国、三仏斉宝林邦(パレンバン)などの表記がみられたりするところから、単一の国家ではなく、マラッカ海峡地域における港市国家の総称と把握されるようになった。三仏斉とシュリヴィジャヤ・グループのビッグ・スリーすなわちチャイヤー、ケダー、ジャンビの3カ国が朝貢のための統一政体として9世紀の末に形成されたものと考えられる。1025年にタミール王国(南インド)にケダーをはじめマレー半島が占領されたが、これはマレー半島横断通商路の独占を狙ったものであり1080年ごろには返還された。南宋が朝貢制度をやめ市舶司制度に1本化する12世紀末まで続いた。

三仏斉は、9世紀後半以降のアラビア語史料に現れるザーバジュ(Sarboza、Serboza)[注釈 1]に相当するとみられる。アラブ史料によれば、ザーバジュの大王が治める国ぐにには、スマトラ島北端部のラムリマレー半島西岸のクダ、それにスリブザなどがあったとされており、このスリブザこそ、かつてのシュリーヴィジャヤではなかったかとみられる。三仏斉になってもザーバジュ(三仏斉)などと呼ばれていた。西方諸国は三仏斉の内容については関知していなかったようである。三仏斉は朝貢品をパッタルンに集約し、Sating Phra港から中国向けに出荷していたものとみられる。これは後期「訶陵」(シャイレンドラ)時代からそうしていたものと考えられる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ インド史料に現れる「ジャーヴァカ」「シャーヴァカ」ではないかとされる。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 池端雪浦編『東南アジア史〈2〉島嶼部』山川出版社<新版世界各国史>、1999年5月。ISBN 4634413604
  • 池端雪浦・石澤良昭・後藤乾一・石井米雄・加納啓良『岩波講座東南アジア史1』岩波書店2001年6月。ISBN 4000110616
  • 池端・石澤・後藤・石井・加納・桜井由躬雄・山本達郎・斎藤照子・末広昭『岩波講座東南アジア史2』岩波書店、2001年8月。ISBN 4000110624
  • 鈴木峻『扶南・真臘・チャンパの歴史』めこん社、2016年12月、ISBN 978-4-8396-0302-1

関連項目[編集]