ヴィンチェンツォ・ベッリーニ
ヴィンチェンツォ・ベッリーニ Vincenzo Bellini |
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基本情報 | |
生誕 | 1801年11月3日![]() |
死没 | 1835年9月23日(33歳没)![]() |
学歴 | ナポリ音楽院 |
ジャンル | オペラ |
職業 | 作曲家 |
ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(Vincenzo Bellini, 1801年11月3日 - 1835年9月23日)はシチリア島・カターニアに生れ、パリ近郊で没した作曲家。主としてオペラの作曲家として有名である。名字はベルリーニ、ベリーニとも表記される。1985年から1996年まで発行された5000イタリア・リレ(リラの複数形)紙幣に肖像が採用されていた。
ロッシーニやドニゼッティとともに「ベルカント・オペラ」と称される19世紀前半のイタリアオペラを代表する作曲家である。中でも特にベッリーニについてはショパン、ベルリオーズ、ワーグナーらの賞賛と愛情の言葉を得ている事で知られている。父親も祖父も音楽家であり、音楽を学ぶ前から作曲を始めたという神童であった。
- 1819年(17歳)- 貴族の後援者を得てナポリの王立音楽院に入学。
- 1825年(23歳)- 音楽院内で公演されたオペラの処女作『アデルソンとサルヴィーニ』が認められる。その後、オペラ『ビアンカとジェルナンド』、『海賊』の相次ぎ成功。
- 1831年(29歳)- オペラ『夢遊病の女』を発表。大好評を博すが、自身では管弦楽法の未熟さを認識しており、改めて学習したと言われている。
- 1835年(33歳)- 病を得て9月23日短い生涯を閉じた(慢性の腸疾患という)。パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたが、その後遺体はカターニアに再埋葬された。
作品[編集]
歌劇[編集]
- 『アデルソンとサルヴィーニ』1825年
- 『ビアンカとフェルナンド』初演1826年ナポリ
- 『海賊』 初演1827年ミラノ
- 『異国の女』 初演1829年ミラノ
- 『ザイーラ』 初演1829年パルマ
- 『カプレーティとモンテッキ』 初演1830年ヴェネツィア
- 『夢遊病の女』初演1831年3月ミラノ
- 『ノルマ』初演1831年12月ミラノ
- 『テンダのベアトリーチェ』初演1833年3月ヴェネツィア
- 『清教徒』初演1835年1月パリ
協奏曲[編集]
- オーボエ協奏曲 変ホ長調
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- ヴィンチェンツォ・ベッリーニの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト。PDFとして無料で入手可能。