ヴィットリオ・グイ

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ヴィットリオ・グイ
基本情報
生誕 (1885-09-14) 1885年9月14日
出身地 イタリア王国の旗 イタリア王国 ローマ
死没 (1975-10-17) 1975年10月17日(90歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

ヴィットリオ・グイVittorio Gui, 1885年9月14日 - 1975年10月17日)は、イタリア指揮者[1]

1885年、ローマ生まれ。ローマ大学で文学を学んだ後、1906年サンタ・チェチーリア国立アカデミアでジャコモ・セタッチョリとスタニスラオ・ファルキの下で作曲を学び、ディプロマを取得。その翌年にローマのアドリアーノ劇場ポンキエッリの《ジョコンダ》を演奏して指揮者としてデビューを飾った。これが契機となって、ナポリとトリノで指揮をすることとなる。1912年ナポリサン・カルロ劇場の首席指揮者になり、イタリア各地の歌劇場に客演していた。

1928年に創設されたばかりのフィレンツェ市立管弦楽団(現フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団)の音楽監督を任された。1933年には、このオーケストラのコンサートをフィレンツェ五月音楽祭へと発展させた。戦後、フィレンツェを本拠地として活発な活動を展開していたが、1952年から1964年までグラインドボーン音楽祭の音楽監督と芸術顧問に就任した。死ぬ直前まで指揮活動が衰えることはなかった[2]が、フィレンツェで死去した。

脚注[編集]

  1. ^ Vittorio Gui (Conductor, Composer, Arranger)”. 2013年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月6日閲覧。
  2. ^ Vittorio Gui: The Last Concert )”. 2013年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月27日閲覧。